2011年6月2日木曜日

ミスター・ノーバディ

(MR. NOBODY)

 ミニシアター系での上映なのであまり知名度は高くないようですが、これは傑作でしょう。近い将来、カルト化すること間違いなし。俺的ベストSF映画のリストに追加しなければなりませぬ。
 監督はベルギーの鬼才ジャコ・ヴァン・ドルマル。非常に寡作でこの二〇年間に『トト・ザ・ヒーロー』(1991年)、『八日目』(1996年)と本作のみ。但し、どれも評価が高くカンヌ等の国際的映画祭で受賞しまくりだそうな。
 そうは云っても私は未見なのデスが。でも『ミスター・ノーバディ』が素晴らしかったので、前作も推して知るべしか。

 苦労したのは一緒に仕事しているプロデューサーの方か。『八日目』が完成した後、ドルマル監督から「次の作品はもっとシンプルでコストの掛からない作品にするよ」と云われ……十年待たされた。しかも総制作費は五千万ユーロ。
 アーティストな監督に惚れ込んだプロデューサーの悲哀が偲ばれます。でも待った甲斐はあったと云うべきでしょう。

 西暦二〇九二年。不老技術が確立され、もはや人類は死ぬことはなくなった。そんな社会の中で、不老処置を受けられなかった「最後の死ぬヒト」であるニモ老人(齢百十八歳)が回顧する人生の物語。世界中が臨終の瞬間を見守っているという、なんかイヤな世界ですな。
 しかし老人の記憶はもはや朧気であやふやなものになっており、何が真実で何が妄想なのか判然としなくなっていた。お爺ちゃん、ボケちゃったのか。

 何せ、「天国でこの世に生を受ける以前に、赤ちゃんとして待機していた頃の記憶」まで語っちゃいますからね。ホラにしても壮大だ。しかも天使のお姉さん、美人だし。
 そして五歳、九歳、一五歳、成人してから今日までの記憶……。

 各年齢のニモを何人もの子役が演じています。ニモと関わりを持つ女性達も、各年齢に応じて子役が演じています。これらの子役が実にカワイイ上に巧い。もう別に成人してからのエピソードなんていらないのではないか。
 とりあえず成人した後のニモはジャレッド・レトが演じています。『アレキサンダー』でコリン・ファレルの友人役(ヘファイスティオンね)だった人か。他にも『パニック・ルーム』の強盗役、『ロード・オブ・ウォー』ではニコラス・ケイジの弟役とか……。主役で観た記憶がない。『チャプター27』は観てないなあ。
 細身のイケメン俳優ですが、演技派ですな。老けメイクでの老人演技も巧いわ。

 ニモと関わり合いを持つ三人の女性、アンナ、エリース、ジーンも少女時代から成人女性まで各年齢毎に子役が演じていますが、やはり少女時代の子役がいいッ。
 成人しちゃうと、アンナ役はダイアン・クルーガー、エリース役はサラ・ポーリー、ジーン役はリン・ダン・ファンがそれぞれ演じるのですが……。
 それぞれの少女のイメージが、アンナは赤、エリースは青、ジーンは黄色に色分けされ、画面の色彩も計算されて統一されているので、物語は複雑ですがイメージ的には判り易いです。

 それにしてもナニかね。三人の女性は全員、五歳の頃から主人公と関わりがあったのだよなあ。
 幼馴染みの女の子が三人だと! 赤毛、金髪、黒髪。これはギャルゲーか!

 実は本当にギャルゲーな映画だったりして。
 三人の女の子の誰を選ぶかで、未来が分岐していくのである。SF的平行世界。量子力学的多世界解釈なのです。
 そしてどの世界も等しく現実である。
 未来に於ける百十八歳のニモは、その全ての可能性の重ね合わせであるらしく、どの選択から生じる世界の記憶をも持ち合わせている。
 ホントか? 単にボケたお爺ちゃんの妄想なのでは? それを確かめる術はない。

 しかし未来は三通りだけでは無い。そこから更に幾つもの可能性に分岐していく。
 幸福な結婚生活を送る未来もあれば、結婚式直後に事故に遭う未来もある。事業で成功する未来もあれば、ホームレスな未来もある。交通事故に遭う未来、殺し屋に命を狙われる未来。火星旅行する未来まで、もうナニがナニやら。
 編集が実に見事です。人生の各バージョンのつなぎが素晴らしい。一年半にも及んだという編集作業は伊達ではない、と云うことか。
 ある可能性の世界から、また別の可能性の世界へ、時間も超越し、ある瞬間から過去に巻き戻って選択し直し、また唐突にこっちからあっちへ、いきなり現実の老人に戻ってきたり、実にめまぐるしく忙しい。
 二一世紀の『スローターハウス5』ですな。時空を超越した人生の回顧録。

 パンフレットの解説に拠ると、ニモの人生のバージョンは十二通り用意されたらしいですが、観ている間は数えることなんて出来ないデス。
 すべてが渾然一体となって進行していく。
 しかし事故で死んだり、殺されたりした人生の記憶まであると云うのはギャグか。どうやって生き返ったのだ(笑)。さすが「誕生以前の記憶」まで持っているだけのことはある。

 SF的特撮の技術も見事です。二〇九二年の未来社会のみならず、火星旅行する場面の宇宙船や、火星都市の特撮も手が込んでいる。CGの使い方が職人的で、センスのある描写に感心しました。
 バタフライ効果に言及する可能性の世界、超ひも理論まで飛び出します(ある世界ではニモは科学解説者なので)。
 SF者なら必見の映画でしょう。

 しかし観ているうちに、ある不安が頭をよぎります。
 火星旅行する世界は現実なのか、創作なのか。ある世界で創作している小説の設定を、そのまま生きている世界と云うことも出来るし、すべてが創作、妄想であると云うことも出来る。
 しかし妄想であるとすると、出発点である西暦二〇九二年と云うのはどうなのか。
 「不老技術の確立」なんてのは「火星旅行」と同じくらい非現実的なのでは。いや、もっとか。

 そもそも三人の女の子の中から、誰を選ぶか以前に、実は重要な人生の選択があったのだった。
 五歳の時に両親が離婚するのである。自分は母親と一緒に家を出て行くべきか、父親と共に残るべきか。母親と共に出て行くと、アンナのコースが待っている。父親と共に残るとエリースのコースとジーンのコースの分岐が待っている。
 駅での別れの瞬間まで、ニモの決心はつかない。母親が乗った列車が動き出す。
 堪りかねて駆け出すニモ。列車に追いつくのか、追いつかないのか。この究極の選択が最初の分岐点なのであるが……。

 老人となったニモは云う。実は時間はそこから一歩も進んでいないのであると。
 その瞬間に千々に乱れた少年の心が生み出した無数の可能性の世界が、自分の記憶なのであると。つまり語り手である老ニモまで含めて虚構だったのか。
 『涼宮ハルヒの憂鬱』もビックリですな。
 そしてありとあらゆる世界が崩壊していく。少年が決意し、選んだ未来は何だったのか……。
 すべてが虚構であり、また等しく現実。どっちがどっちでもいいと云うか、ここまで来ると「虚構だというのも虚構なのでは」と思いたくなります(笑)。
 何にせよ、センスのある映像と音楽の選曲が素晴らしく──「ミスター・サンドマン」が実に効果的で──堪能しました。




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