『アリエッティ』で素晴らしいのは、小人の視点で見た世界の描写。美術的な背景が水準以上なのは期待通り。
しかし「小人視点の世界」と云っても、この作品が初めてというワケではないし、小人の登場するアニメや特撮は今までにも沢山ありましたからね。それらに較べて特筆するほどのことはないような気もします。
水滴の表現がなかなか凝っているが、それは『バグズ・ライフ』でもやってたことですからねえ……。
そもそも「病弱な子供と小人さんの交流」を描いたアニメとしては、『とんがり帽子のメモル』を越えるものはないと信じておりますし、『アリエッティ』が『メモル』以上であると主張する奴はおりますまい。
イマドキのアニメファンは『メモル』知らないのかな。
あくまでもビジュアル的な表現が素晴らしい──だけ。なんかそういう映画、前にもあったよなあ……。
とにかくドラマが弱い。ホントに、感情に訴えるものがない。
あまりにも淡々としていて、スティーブン・ソダーバーグが監督しているのかと思いたくなるほどですわ。まぁ、宮崎駿の監督作品ではないにしても、脚本は書いてるワケだし、こんなんでいいのかと失望を禁じ得ません。
一番、違和感を感じたのがラストの別れの場面。翔がアリエッティに告げる。
「アリエッティ、君は僕の心臓の一部だ」
なんかもう、取って付けた感が漂いまくりのセリフ。この言葉を口にするだけの理由がそれまでの展開の中にあったのか。断言するが、無い。
多分、こういうことでしょう。
少年は難しい心臓手術を数日後に控えていて、不安だった。しかし種族として滅びに直面しつつも「私たちは生き延びるわ!」と言い放つタフな少女から勇気をもらい、自分も手術から逃げることをやめようと決意する。
──ということを描きたいのだろうが、描き切れておりません。
大体、翔は感情の起伏に乏しく、本当に手術が怖いのかどうか判らないのです。こういうときには、大人の前では落ち着いた素振りを見せていても、独りになったら何かしら不安を覗かせるような振る舞いをすべきでしょう。それがない。
きっと翔はアリエッティと知り合いにならなくても、粛々と手術を受けていたのではないかとさえ思えます。
脚本を書いた宮崎駿は、多分、翔なんてどうでもよかったのではないかと思えます。
タフな少女がサバイバルするドラマだけ書きたかったのでは。
それを云うなら、アリエッティがあそこまで楽天的にサバイバル宣言する理由もよく判りませんけど。単に負けず嫌いだっただけかも。
この映画を「宮崎駿」も「ジブリ」も知らない人が観たら、「ふーん」で終わってしまうのがオチでありましょう。
どっちかと云うと、翔よりも家政婦のハルさんの方が観ていて面白いデス。
まさに「家政婦は見た!」的な家政婦。どうせなら樹木希林ではなく、市原悦子に声をアテてもらいたかった(笑)。
意地悪な言い方をすれば、ハルさんも「家庭のプラバシーを覗き見るのが趣味」な、ステロタイプなキャラに過ぎないのですけどね。
もっとハルさんにスポットを当てて、「小人を捕まえて有名になりたい」とか「お金儲けしたい」というような俗物的な描写を盛り込んでいただきたかった。そうすれば魅力的な脇役になれたかも知れないのに、大したキャラ描写も無く、したがってドラマ的にも盛り上がりません。
小人が珍しいのは判るが、わざわざ害虫駆除業者を呼んで捕獲を依頼したりするほどの動機がハルさんにあったのか?
ところどころ、小人の生活を描く上での設定に面白いものがあり、そういう部分に宮崎駿的なものを感じるのだが、ただの設定に終わっています。
総じて残念な作品。
しかしあの宣伝の仕方を見ていると、ひたすら鈴木プロデューサーばかりが前面に出てきて舞台挨拶とかもやっているが、どうなんでしょね。ジェリー・ブラッカイマーみたいに、「製作 鈴木敏夫」で売るならそれもいいのでしょうが。なんか違和感を感じます。
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