近年は八〇年代SFアクション映画の続編、リメイク、リブートが大流行ですが──『ターミネーター』とか、『ジュラシック・パーク』とか、『スター・ウォーズ』もそうか──、本作は一応、九〇年代後半には企画が上がっていたそうです。それが諸般の事情によって製作が遅れに遅れていたのだとか。よく立ち消えにならなかったものだと感心します。
これはジョージ・ミラー監督の執念でしょうか。本作もまた御自分で脚本も書いた上で監督も務めておられます(製作も兼ねてますし)。
『マッドマックス』から遠ざかっていた間は、『ベイブ/都会へ行く』(1998年)とか、『ハッピー フィート』(2006年)なんて動物主役のファミリー映画を撮っておられましたが、個人的にジョージ・ミラー監督にはあまりそっち方面の映画は似合わないのでは無いかとの思いが拭えきれませぬ(後者はアカデミー賞の長編アニメ部門で受賞しましたけどね)。
もっとアクション&バイオレンスなヤツを。いやもう、ジョージ・ミラーは生涯、『マッドマックス』一本槍でもイイくらいだ──と、思っていたら、ホントに続編製作に着手したと報じられ、半信半疑ながら待ち続けておりました。でも待った甲斐あって、期待に違わぬ出来映えであり大変満足です。
予告編の段階から「この映画はバカですヨ~」と云わんがばかりにテンションの高いカーチェイス・シーンが繰り広げられて素晴らしかったデスね。凄いとか、迫力あるとか云う以前に、楽しそうだなぁなんて感想を抱いてしまうくらいで。
これはある種のお祭り映画か。もう、「ヒャッハー」としか云いようがない。
また、邦題に溢れるB級映画感がたまらんですね。副題が「怒りのデス・ロード」ですし、その書体もまた昔懐かしい。いわゆる「グラインドハウス感」と云うやつでしょうか。
『マッドマックス』(1979年)はメル・ギブソン(以下、メルギブ)の出世作ではありましたが、本作には登場いたしません。メルギブもアクション映画に出演するにはかなりお歳を召されてしまいましたし、交代はやむを得ないか。でも『エクスペンダブルズ3』(2014年)には出演してましたけどね。
本作に於けるマックス役は、メルギブに代わりましてトム・ハーディです。ぐっと若返りました。
トム・ハーディと云えば、『裏切りのサーカス』(2011年)とか、『ブラック & ホワイト』(2012年)への出演あたりから記憶に残っておりますが、何と云っても『ダークナイト ライジング』(2012年)のベイン役が強烈でした。
トム・ハーディ主演なので、本作は『マッドマックス』シリーズの続編と云うよりも、リブート、セルフ・リメイクといった趣であります。ストーリー的には前作からの直接の繋がりは感じられません。
むしろ、マックスの愛車V8インターセプターが冒頭から健在でありますので、リブート感の方が強いでしょうか。でもV8インターセプターの出番は短かった。
本作ではトム・ハーディが颯爽とV8を駆る場面は……ありません(汗)。
まぁ、文明崩壊後の道路事情が最悪な時代ですからね。仕方が無いと云うか、V8がちゃんと活躍したのは最初の第一作だけだったような気がします。しかも第一作だけはSFじゃないし……。
文明崩壊後の世紀末救世主伝説的SFになったのは『マッドマックス2』(1981年)からですし。
個人的には、前三作で主役を張ったメルギブが、本作には登場していないところが画竜点睛を欠くでしょうか。大抵の(だと思いますが)リメイクとかリブート作品には、先代の出演者がチョイ役でカメオ出運的に顔見せしてくれるのがファン・サービスなのではないのか。
でも本作のどこにそんなメルギブがカメオ出演する余地があったのかと問われると答えに窮するのですが(難民の役ではパッとしないし、かと云って顔面白塗りでは判らないしねえ)。
それに「先代の出演者」という意味では、ヒュー・キース・バーンが第一作目から三六年の時を超えて、また出演してくれているのが嬉しいデスね。しかもトム・ハーディより、余程強烈な役ですよ。
ヒュー・キース・バーンはシリーズ第一作に登場したトゥーカッター役(暴走族のボスね)でしたが、もはやあの頃の面影がさっぱり思い出せません。しかし本作に於ける印象は実に強烈で、今後はイモータン・ジョーが一番の当たり役になるのではなかろうか(それはそれでちょっと可哀想か)。
本作に於けるイモータン・ジョーは、『~2』に登場したヒューマンガス様を越えるくらい強烈です。いや、これは越えたろう。
イモータン・ジョーは単なる無法者ではなく、ある種の宗教的指導者のように部下達から崇められる絶大なカリスマを備えた男ですからね。白塗りの上に頭蓋骨を模した吸入器を被っております。もう完全に劇画の人物造形です。まぁ、『マッドマックス』シリーズには必要なキャラですよね。
『~2』にオマージュを捧げまくった青春映画『ベルフラワー』(2011年)が製作されたように、いずれはイモータン・ジョーに憧れるボンクラ男子の青春映画が……製作されないか(女性を拉致監禁するヤバい映画になりそうでコワイ)。
トム・ハーディとヒュー・キース・バーン以外では、シャーリーズ・セロン、ニコラス・ホルト、ロージー・ハンティントン=ホワイトリーといった方々が出演しておられます。
でもシャーリーズ・セロンもニコラス・ホルトも、元の人相が判らないくらいにメイクしております。辛うじてシャーリーズ・セロンは判りましたが、もはやニコラス・ホルトは云われて観ても判別できません。スキンヘッドな上に顔面白塗りだし。
これは「スキンヘッドで白塗り」なのが、イモータン・ジョー率いる武装集団〈ウォー・ボーイズ〉の制式スタイルであるからで、決して山海塾ではありません。
かつては「モヒカン刈りの暴走族」が荒廃した未来に於ける定番スタイルとして確立された感がありましたが、本作以後は「スキンヘッドで白塗り」が流行するのでしょうか。
あのオスカー女優シャーリーズ・セロンも〈ウォー・ボーイズ〉の隊長という設定なので、丸刈りで白塗り、ついでに目元だけ黒いパンダ・メイクとは驚きでした。
でも精悍で凛々しいイメージになるのは流石デス。ちょっと『ブレードランナー』(1982年)のダリル・ハンナを思い出します。
ニコラス・ホルトも白塗りですが、この人はSF作品に出演すると、元の人相が判らないくらいに特殊メイクされる運命なのか。『X-MEN』シリーズでも、ビースト役でしたからねえ。『ウォーム・ボディーズ』(2013年)のゾンビ役のメイクはまだ軽い方か。
イモータン・ジョーが所有物として囲っている〈妻たち〉と呼ばれる五人の女性の筆頭が、ロージー・ハンティントン=ホワイトリー。『トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン』(2011年)では、ミーガン・フォックスに代わってシャイア・ラブーフの相手役を務めていたモデル出身の女優さんですね。
ロージー以下、〈妻たち〉は皆さん、モデル出身の女優さんばかりで固められております(だから馴染みがない)。
さて、冒頭からトム・ハーディのモノローグで幕を開ける本作ですが、ぶっちゃけストーリーなんぞあって無きが如しデス。ただひたすらジョージ・ミラー監督のビジョンを堪能するだけの一二〇分。それで充分なのが凄いところです。
実はストーリーは非常に単純で、全編にわたって逃走と追跡が繰り広げられるのみ。しかもトム・ハーディはストーリー上、単なる狂言回し的扱いです。主人公なのに影が薄いッ。
もっぱら目立っているのはシャーリーズ・セロンの方でして、本作は基本的にシャーリーズ・セロンとヒュー・キース・バーンの物語と云っても過言ではない。
まぁ、風来坊が立ち寄った地元の闘争に巻き込まれ、事件を解決して去って行く、と云うのが黄金のパターンですし、本作もこの法則に忠実です。外しません。
戦争と環境汚染で荒廃した世界では乾燥化が進み、水を確保したものが権力を握ると云う設定なのはよく判ります。
イモータン・ジョーもそのようにして周辺地域を支配下に置いて好き放題に振る舞っているわけですが、蔓延する疾病に短命を余儀なくされ、その代わりに自分の子供を掠ってきた女たちに産ませることを強要している。
そんな境遇に女性が我慢できるはずも無く、あるとき集団で脱走を図り、たまたまその場に居合わせたマックスが巻き込まれると云う流れです。
マックスがその場に居たのは、疾病対策の輸血用人材として人間狩りに遭遇して捕らわれてしまったからで、序盤のマックスは「輸血袋」と呼ばれて〈ウォー・ボーイズ〉の備品扱いです。健康な血液はそれだけで財産なのか。
〈妻たち〉を連れて脱走するのが、シャーリーズ・セロン。かつての故郷、「緑の地」を目指しているわけですが、このあたりは前作『サンダードーム』で言及されていた「トゥモローランド」と似たような扱いですね。
追跡隊の備品にされていたトム・ハーディも隙を見て逃げ出し、シャーリーズ・セロンと共に女たちを安住の地へと連れて行くことになる。だがその道中は、様々な武装集団のテリトリーを抜けていかねばならず、逃走は困難を極めたものになる。
本作の見所は全編にわたって登場する多彩な改造車です。荒廃した未来では車両もすべて寄せ集めのカスタム仕様にせざるを得ないのですが、どの車も実にキテレツで個性たっぷりな仕様になっています。特にトゲトゲのヤマアラシ特攻車がいい。
このあたりの描写は、マニアには堪らないのでしょう(よく判りませんけど)。トム・ハーディとシャーリーズ・セロンが逃走に使う改造されたタンカートレーラーもなかなか不敵な面構えです。
トラックの面構えが印象的な映画では、スティーヴン・スピルバーグ監督の『激突!』(1971年)とか、アンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督の『恐怖の報酬』(1953年)なんかが思い出されます。特に後者はウィリアム・フリードキン監督のリメイク版(1977年)も印象的でしたが、本作もまたそれらに負けていませんね。
あと印象的なのは、ストーリーの進展に一ミリたりとも貢献しない、〈ウォー・ボーイズ〉追跡隊の戦意高揚専用車両でしょう。
スピーカーとドラムをテンコ盛りに積んだトラック上にワイヤーで吊されて、火を吹くエレキギターをガンガンかき鳴らすイカした(イカれた)人が登場しますが、名前も呼ばれないし、台詞もありません。
しかし本作の魂を体現しているような役ですし、実は陰の主人公はコイツでは無いかとさえ思えます。ギターに火炎放射器という、まるで意味無しのアイテムが最高にカッコいいです。
ところで『マッドマックス』──なかんずく『~2』──は、その後の世紀末SFのビジョンに多大な影響を及ぼし、『北斗の拳』はそのひとつとして有名ですね。
本作では、今度は逆に『北斗の拳』からイメージを戴いてきたような、改造バイクに乗った無法者が岩陰から飛び出してくるシチュエーションが見受けられます。互いに影響を与え合って相互にリスペクトしているようで、楽しいビジュアルでした。
ストーリーは単純ですが(行って帰ってくるだけだし)、全編カーチェイスの非常にエネルギッシュ(かつ低知能)な楽しいお祭り映画でありました。
イモータン・ジョーはこれ一作きりにしておくには惜しいキャラですわ。
トム・ハーディもそれほど活躍したとは云えないし、何やら過去を引き摺るトラウマ描写もあるのですが、そこは詳細に語られません。どうも次作への布石のようで、本作は新たな三部作の一作目になるのだそうな。
ジョージ・ミラー監督には、是非ともこの先も御健勝で続編製作に邁進して戴きたい。ブタとペンギンはもう忘れてください。
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