主演のエディ・レッドメインがスティーヴン・ホーキング博士の役なのですが、確かに劇中で見せる演技力には並々ならぬものを感じました。
難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症し、段階的に病状が進行していく様子と患者が感じる葛藤を、見事に演じきっておりました。確かにあれは主演男優賞ものでありましょう。
アカデミー賞の対抗馬の中には、ベネディクト・カンバーバッチ主演の『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』もありまして、こちらは数学者にしてコンピュータの父、アラン・チューリング博士を主役にしており、学者の伝記映画対決と云う意味では、チューリング博士の方を応援していたのですが(カンバーバッチさんだし)。
受賞結果を知った時点では公開前と云うこともあって、ホーキング博士の方がネームバリューもあるし、難病患者や身障者を演じる場合は採点も甘くなるのでは……なんて邪推もしておったのですが、本作を観てそのような疑念は払拭されました。
ちなみにカンバーバッチさんも、かつてはホーキング博士役を演じたこともあったそうです(TVドラマですが)。両方、見比べてみたいですね。
本作の監督はジェームズ・マーシュ。ドキュメンタリー映画『マン・オン・ワイヤー』(2008年)でアカデミー長編ドキュメンタリ映画賞を受賞した監督さんですが、他の監督作品をよく知りませんです。
ドキュメンタリ作品が多い監督のようですが、『シャドー・ダンサー』(2012年)なんてスパイ映画も撮ってますね(未見デス)。
『イミテーション・ゲーム』とのアカデミー賞の競合では、作品賞、主演男優賞の他に、作曲賞でも競っておりましたね。
本作の劇伴は、アイスランド出身の作曲家、ヨハン・ヨハンソン。馴染みのない方でしたが、本作中で聴けるピアノの劇伴は実に美しく、印象的でありました。さすが作曲賞にノミネートされるだけのことはあります。受賞の方は『グランド・ブダペスト・ホテル』でしたが。
でもゴールデングローブ賞(2015年・第72回)の作曲賞では本作が受賞しました。
それにしてもエディ・レッドメインがこれほどの演技力を発揮するとは、少々驚きでありました。まさに一世一代、入魂の演技です。
『マリリン 7日間の恋』(2011年)でマリリン・モンローに恋する青年を演じていたときはまだ初々しい青年でしたし、『レ・ミゼラブル』(2012年)のマリウス役のときはそれほど出番も多くなかったし、あまり記憶に残っておりませんでしたが、本作では相当な存在感を発揮しております(主役ですし)。
ああ、でもウォシャウスキー姉弟のSF映画『ジュピター』(2014年)の方でもなかなかの存在感をアピールしておりましたね。あの線の細くて屈折したラスボスの役は印象的でした。と云うか、同一人物には見えませんデス。
ところで本作は邦題がイマイチのような気がします。「セオリー」をそのままカタカナにしてしまうのは如何なものか。
原題の “The Theory of Everything” (略して TOE)とは「万物の理論」のこと。電磁力、弱い力、強い力、重力という自然界の四つの力を統一的に記述する理論(統一場理論)を指した用語ですが、それは決して「博士と彼女の理論」ではありません。
まぁ、科学者とその奥さんのラブロマンス的ストーリーに、『万物の理論』とか『統一場理論』なんて邦題を付けても、お客さんは来ないでしょうから、ある程度の変更は仕方ないのでしょうが「セオリー」の部分だけ残されてもなぁ。
余談ながら、SF者としては『万物理論』と云うと、グレッグ・イーガンの傑作SF小説の方を想起してしまうのですが、一般の方に馴染みは薄いか(と云うか御存知ないでしょう)。星雲賞受賞作品なんですけどね。
それにイーガンの『万物理論』は原題が “Distress” だしな。誰も訊いてませんねそうですね。
そもそもホーキング博士と、博士を支えた奥さんの愛の物語に、理論のタイトルを付けるのが間違っている。本作を観ても、物理学的な知識はこれっぽっちも増えたりしませんデス。
しかもまだこれは証明されていない理論ですよ。現在もまだ研究が進められています。証明できたらノーベル賞確実とも云われているし、「超弦理論」とか「M理論」なんて用語はSF者には馴染みある言葉です。
劇中では、学生時代のホーキング博士が宇宙論を学ぶ際に、「宇宙を記述するただ一つの式」について言及する下りがありますので、そこから付けられた題名ですが、もうちょっと色気のある題名には出来なかったものか。
「万物」には「愛も含まれるのか」と云うニュアンスも感じられるのですが。
スティーヴン・ホーキング博士を描く映画ではありますが、学術的な解説はほとんどスルーされております。一般の人には宇宙論を平易に解説した著作『ホーキング、宇宙を語る』が一番有名でしょうか(私も翻訳が出た当時、買いましたですよ)。
劇中では出版後ベストセラーになるといった場面もありますが、中身についての解説はありません。
一応、「ホーキング博士と云えばブラックホール」と云う世間一般的なイメージがありますし、最初に有名になった「ブラックホールの特異点定理」を発表する場面はありますが、学術的な描写は抑えられています。
個人的には、劇中にロジャー・ペンローズ博士も登場したのが興味深かったデス。
そりゃまあ、ホーキング博士の伝記ですから、学生時代にロジャー・ペンローズの講演を聴く場面があるのは当然ですね。そして博士号を取得し、ペンローズと知己になり、一緒に特異点定理を発表するわけですから、出さないわけにはイカンですね。
でもあまり出番は多くなかったのが残念。
本作に於いて、ロジャー・ペンローズを演じたのは、クリスチャン・マッケイでした。近年では『ラッシュ/プライドと友情』(2013年)や、『パガニーニ/愛と狂気のヴァイオリニスト』(同年)にも出演しておりますが、あまり大きな役ではなかったですね(主役じゃないし)。
ペンローズ博士の伝記映画も制作されたりしないかな(え、需要がない?)。
実は他に、キップ・ソーン博士も登場しておりましたが、ペンローズ博士に輪を掛けて出番が短い。演じたエンゾ・シレンティと云う俳優さんにも馴染みなし。
と云うか、劇中では名前を呼ばれなかったような。クレジットには出てくるのに。
ホーキング博士と学問上の賭けをしたエピソードも描かれ、ホーキング博士が負けて『ペントハウス』一年分を贈る羽目になったこともチラリと触れられております。
「裸の特異点が存在するか否か」の賭けだから『ペントハウス』……と云う理由だったのかどうかは本作を観ても判りませんでした(少なくとも字幕上では)。
キップ・ソーン博士の伝記映画は……まず無理か。クリストファー・ノーラン監督のSF映画『インターステラー』(2014年)の科学考証も務めた人なのですが。関係ないデスカそうですね。
本作は別に「ブラックホールの特異点」やら「事象の地平線」やらを描くわけではありませんです。もっぱらホーキング博士の為人を描くので、その家族関係の描写の方にスポットを当てております。
本作でホーキング博士の奥さん(最初の)であるジェーン・ホーキングを演じているのが、フェリシティ・ジョーンズです。
ヘレン・ミレンが主演したシェイクスピア劇の映画化である『テンペスト』(2011年)で、ヘレン・ミレンの娘役でしたが、それ以外にはあまり記憶にありませんです。『アメイジング・スパイダーマン2』(2014年)にも出演していたのですが、こちらも印象が薄い(ブラックキャットになってくれなかったし)。
以下、ホーキング家のメンバーとして、サイモン・マクバーニー(父)、アビゲイル・クラッテンデン(母)、シャーロット・ホープ(妹1)、ルーシー・チャペル(妹2)などの皆さんが出演しておられますが、全く馴染みがありませんです。
奥さんジェーンの母親役のエミリー・ワトソンが一番、馴染み深かったデス。
しかし学術的な描写が少ないので、本作をスティーヴン・ホーキング博士の伝記として描くことに意味があるのだろうかと疑問に感じたりもしました。
将来を嘱望された学生であり、画期的な理論で世間の衆目を集めるも、降って湧いた災難のように筋萎縮性側索硬化症であると告げられる。医者の告知は「余命二年」。自暴自棄になり、塞ぎ込むも、恋人の励ましと家族の支えによって立ち直り、遂に結婚。医者が予想した二年を遥かに超えて生存し(まだ存命中ですし)、幾多の困難を乗り越えてゆく……なんてストーリーは、特にホーキング博士に限らずとも可能だったような気がします。
やはり「実話である」ところにインパクトがあるのでしょうか。
確かに実在のスティーヴン・ホーキング博士を描いて、「人間の努力に限界はないのだ」とか、「命ある限り希望はある」なんて語られますと、仰るとおりでございますとひれ伏さずにはおられませんからね。一般の人が語るよりも遥かに重みが感じられます。
ドラマとしては、科学者であるか否かよりも、ALSの症状によって「他人とのコミュニケーションが難しくなっていく」、「自分の考えを伝えることが出来ない」といった葛藤の方が印象的に描かれておりました。エディ・レッドメインの演技はホントに素晴らしいです。
歩行が困難になり、杖が一本、二本と増えていき、遂に車イスになり、食事も一人では難しくなり、会話もできなくなり、介護する妻も疲れ果てていく。
そこで専門のヘルパーにお願いすることになるわけですが、これが二番目の妻となるエレイン・メイソン。演じているのはマキシン・ピーク。
妻ジェーンが夫とのコミュニケーションに困難を感じているのに、スペリングボードを使って容易く何を云わんとしているかを掴み取る才能は大したものです。
そしてコミュニケーションの出来不出来で愛情もまた移ろうという展開が切ない。
妻の方でも当初から介護を手伝ってくれた青年ジョナサン(チャーリー・コックス)に心惹かれていくのも、ごく自然な展開であるように描写されております。
何より、ジョナサンがナイスガイすぎる。謙虚で思い遣りがあって、夫婦仲に割り込むより身を引こうとする奴ですよ。ホーキング博士の方でもジョナサンに悪感情などサラサラ持っていないと描かれております。
ただ、妻とジョナサンが親しくしているのを見て健常者同士のコミュニケーションに黙って羨望の眼差しを向ける姿が哀しい。コミュニケーションの断絶とは人間関係も破壊するものなのか。
妻から別れ話を切り出され、「ベストを尽くしたのよ」と云われて、全く責めることの出来ないホーキング博士です。結局、円満に離婚し、またそれぞれ再婚して幸せになるわけで、これが最善の選択でしょうか。
そして遂に英国女王より勲章を賜ることに。これは大英帝国勲章のことですね。
実は冒頭のオープニングが、宮殿内を車イスの人物と数人の人影が歩いて行く場面で、これが何なのか明かされないまま、ドラマは一九六三年のケンブリッジに巻き戻るのですが、ラストでまたここに戻ってきて、これが受勲の場面であると明かされる趣向です。
そして「時間の本質」を追求する科学者らしく、今までの人生が逆回転する走馬燈のように流れ始め、幸せだった学生時代まで遡っていく。
七二歳でまだ存命しており、今も万物理論を研究中である旨が字幕で語られます。
エンドクレジットの星雲の映像から、人体内部、脳内シナプスへと流れていくCGが美しく、また星雲に戻ってくると、星々がホーキング博士のシルエットになっているというグラフィックにちょっと感動しました。
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