高畑勲監督作品としては、『ホーホケキョ となりの山田くん』(1999年)以来、一四年ぶりになります。いや、長かった。そんなに長いこと新作が無かったとは寡作な監督です(でも好き)。
高畑勲監督作品は、一般的に宮崎駿監督作品に比べると玄人好みというか、あまり一般受けはしないようでありますが、質の高さは折り紙付きでありますね。
本作はタイトルの示すとおり、日本最古の物語である『竹取物語』のアニメ化作品です。
『竹取物語』と云えば、かつて市川崑監督により東宝創立五五周年記念作品として映画化されたことを思い出します(1987年)。結構、大々的に宣伝されましたし。そもそもの作りが、時代劇と云うよりも特撮映画だったので憶えております。
でも、市川崑監督の『竹取物語』は、SF者から観ても如何なものかと思うような代物ではありました。如何に当時がSFブームであったとは云え、かぐや姫がモロに異星人であるとか──かぐや姫役は沢口靖子だったねえ──、円盤がお迎えに来るとかいった描写が『未知との遭遇』(1977年)のパロディのように思えたものでした。おまけに「龍」は怪獣みたいでしたしね。
ついでに、三船敏郎が全然「竹取の翁」らしく見えなかった(威厳ありスギ)ことも、今では懐かしい思い出です(笑)。
まぁ、SF者としては、日本最古の物語がSF小説であったことに感じるところもあります。でもだからと云って、あの市川崑版『竹取物語』は特撮に傾きすぎたように思われてなりませぬ。
そこへ行くと、本作はかなりシンプルな作りです。
しかもタイトルは『竹取物語』ではなく、『かぐや姫の物語』。
今まで存じませんでしたが、この原作の題名『竹取物語』は通称で、正式には『竹取翁の物語』とか『かぐや姫の物語』とか呼ばれるそうな。まぁ、日本最古ですから諸説色々なようで。
そう考えると、本作のタイトルが『竹取物語』ではなく、『かぐや姫の物語』であると云うのも、可能な限り原典に忠実に映像化しようという意図なのでしょうか。
事実、真っ正面からアニメ化に挑み、堂々と映像化してくれております。観終わって、ほとんど改変や変更があったという印象が残りません。本当に「かぐや姫の物語」がそのまんまアニメ化されたという感じです。
それでも尺にして一三七分。二時間越えであると云うのが、ちょっと信じられませんです。かなりシンプルな物語だと思っていたのですが。
原作に無いキャラクターとエピソードが追加されたりしておりますが、むしろそれは変更では無く、補完するような演出に思われました。
まず竹取の翁と媼の老夫婦からストーリーが始まりますが、翁役が地井武男、媼役は宮本信子です。
全体的に媼──と云うか、宮本信子──のナレーションで語られていくストーリーで、冒頭からして「今は昔、竹取の翁といふものありけり」と云う有名すぎるフレーズで始まります。
地井武男は本作の完成を待つこと無く、平成二四年(2012年)に心臓疾患から心不全でお亡くなりになりました。本作が遺作だそうで、竹取の翁の声を聞いていると実に懐かしい。プレスコ方式による制作だったので、御本人が体調を崩される前に台詞を収録できていたので良かったです。
こうして改めて耳にすると、なかなかに味わい深い。
実は、完成後に数カ所だけ声を録り直す必要に迫られ、三宅裕司が代役を務めているそうですが、どこが録り直した部分なのかさっぱり判りませんでした。三宅裕司も相当、巧いですね。
でも配役上は「竹取の翁」はあくまでも地井武男で、三宅裕司は「特別出演」とクレジットされております。
主役のかぐや姫は、朝倉あきです。でも『神様のカルテ』(2011年)も『横道世之介』(2013年)もスルーしております(汗)。『神様のカルテ2』(2014年公開予定)くらいは観ておく方がいいかしら。
あまりアニメに縁の無さそうな俳優さんですが、やはりプレスコ方式での収録の所為か、不自然なところはまったく感じられませんでした。
オリジナルのキャラクターとして、かぐや姫の幼馴染みの少年、捨丸(すてまる)を高良健吾が演じております。こちらも『横道世之介』に出演──主役の世之介役で──されています。が、高良健吾は『武士の献立』(2013年)に出演されていました。これなら観たぞ。
おお、『武士の献立』で上戸彩と夫婦になる、あの包丁侍の彼か。これまたアニメでも全く違和感なしデス。
他の配役で云うと、かぐや姫の名付け親になる斎部秋田役が立川志の輔、教育係の相模役が高畑淳子、侍女のひとりが田畑智子です。
かぐや姫の五人の求婚者の配役も、すごいです。
石作皇子が上川隆也。阿部右大臣が伊集院光。大伴大納言が宇崎竜童。石上中納言が古城環。車持皇子が橋爪功。
個人的には橋爪功が実にユーモラスで、ハマっておりました。
総じてプレスコ方式での制作がいいのか、配役が見事なのか、舞台俳優や歌舞伎俳優や一般芸能人を多数配しながら、ごく普通のアニメとして観ていられたのは良かったです。
まあ、題材も題材ですし、物語全体が昔懐かしいアニメの『まんが日本昔話』的で──いや、本当に日本の昔話ですから──、演劇系やタレント系な方達が自由に演じていても違和感を感じないようになっております。
これはやはり往年の『まんが日本昔話』の、市原悦子と常田富士男の名演を刷り込まれている所為でしょうか。
更に、中村七之助が帝役。朝丘雪路が北の方役でした。あまり北の方には出番が無かったのが残念です(友情出演ですし)。
出番が少ないと云えば、劇中でやたら重々しく含蓄に富む台詞を発する名も無い炭焼き小屋の老人がおりましたが、これが仲代達矢でした。後でクレジットを観てびっくりしました。
さて、配役された役者達の名演もさりながら、やはり本作で目を引くのは作画でしょう。
水墨画を思わせるような筆致で描かれた人物や背景。輪郭線が途切れて、そこに淡くぼかした水彩画のように色づけされるのが、実にアーティスティックです。
前作『ホーホケキョ となりの山田くん』もそうでしたが、更に進化しているように見受けられます。と云うか、『となりの山田くん』の場合は、わざわざそんな作画にしなくても良さげに感じられたものですが、本作の方は見事にストーリーと作画がマッチしております。
四季折々の自然も実に美しく描かれ、本作の背景美術は特筆ものでしょう。
よくフレデリック・バック監督によるアニメ『木を植えた男』(1987年)が引き合いに出されますが、デジタルによる作画でも手書きに負けない風合いを備えているのが見事です。
しかも簡潔な線でありながら、かぐや姫が激情に駆られて走って行く場面などは実にダイナミックです。
ただ、省略された描写も多いので、人の顔が「マル描いてチョン」程度にまで省略されてしまう場面もあります。それでもちゃんと誰だか判りますし、気にはなりません。
ひとつだけ気になるのは、かぐや姫の侍女になる「女童(めのわらわ)」の顔でしょうか。名前のない役職名だけのキャラクターですが、簡潔な線で描かれた細い目とネコのような口が……ええ、その……、魔夜峰央の『パタリロ!』にそっくりでした(笑)。
この、どうにも平安時代のパタリロのようなキャラが気になって(しかも何気に出番が多いし)、ついつい鑑賞中も「クック・ロビン音頭とか踊らないかなぁ」とか「声は白石冬美さんにお願いしたかったなぁ」などと関係ないことを考えてしまいました。
ストーリーの方は先述の通り、『竹取物語』そのままなので解説不要ですね。
竹から生まれた女の子が、美しく育って五人の求婚者に無理難題を吹っかけ、やがて月からお迎えが来て、帰って行く。一切、変更なし。
追加されたエピソードとしては、都に上る前の少女時代が序盤に入りますが、まったく違和感なしです。「かぐや姫」と名付けられる前は「タケノコ」と呼ばれておりますが、それも納得の展開です。
実はかぐや姫の描写よりも、竹取の翁の描写の方に独自の解釈が感じられました。
姫を愛する余り、「都でいい暮らしをする」ことが姫の幸せなのだと頭から信じ込んで、それ以外の考えを受け付けない。自然が豊かな里山を離れがたい姫を強引に都に連れて行こうとする。取りなそうとする媼の言葉も聞き入れない。
どうにも物質的な豊かさこそが全てであると云う考えで、最初はそんな人ではなかったのに……などと考えてしまい、ここだけ『竹取物語』と云うよりも木下順二作の戯曲『夕鶴』のようでありました。
「生きる手応えがあれば、物質的な豊かさは二の次である」と云う主張が明確です。
もう一つ、高畑勲監督の解釈が独特だと感じられたのは、クライマックスの月からのお迎えの場面でしょうか。
月から輝く雲に乗って、お迎えの使節が降臨するわけですが……。これがまた非常に仏教色が豊かに描かれております。
と云うか、お釈迦様が直々にかぐや姫を迎えに来ております。あれぇ、そんな物語でしたか。
音楽的にも、それまでずっと日本的で平安調の楽曲が流れていたところで、ガラリと変わってアジアン・テイストでインドちっくなメロディです。ちょっと意表を突かれました(円盤が迎えに来るよりはマシか)。
本作の音楽はジブリ御用達の久石譲です。主題歌は二階堂和美の作詞作曲による「いのちの記憶」で、これはこれでとても印象的ですが、劇伴の方も安定した久石譲のメロディです。
演技、演出、作画、音楽と、非常に完成度の高い作品であると思います(それだけに女童だけが妙に気になって仕方が無いのデスが)。
ところで、第86回アカデミー賞(2014年)長編アニメーション部門に、日本からは『風立ちぬ』(2013年)や『魔法少女まどか☆マギカ [新編] 叛逆の物語』(同年)が応募されたそうですが、何故、本作を応募しなかったのか疑問に感じてしまいます。
これこそまさに「日本のアニメーション」でしょうに。
公開時期が遅れたのが原因だったのでしょうか。高畑勲監督が職人肌で、映画の制作をどんどん遅らせていく常習であるのがマズかったか。
是非とも、その次のアカデミー賞あたりには応募し、オスカーを受賞して戴きたい。まぁ、それ以前に他の映画祭で必ずや色々と受賞してくれるものと信じておりますが。
● 追記
フレデリック・バックが、2013年12月24日、癌によりモントリオールの自宅で逝去されたと報じられておりました(享年89歳)。高畑監督とも交流があったそうですが、生前に本作を観ていたら、どんな感想を持たれたか知りたかったですねえ。
ご冥福をお祈りいたします。
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