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2012年9月25日火曜日

鍵泥棒のメソッド

 『アフタースクール』(2008年)の内田けんじ監督作品であると聞いたときから、無条件に観るべき作品であると決めておりました。例によって堺雅人も出演しますし、堺雅人出演作品もまた個人的に信頼に足るブランドであると思っております(単なる好みですが)。

 しかしその期待に違わぬ出来映えで、大変満足いたしました。
 早速、海外の映画祭にも出品されており(上海、香港、マレーシア)、特に上海映画祭では日本映画として初めて脚本賞を受賞したというのも当然ですね。やはり映画は脚本ですねえ。良い脚本は七難隠す。随所に張られた伏線が実に見事に効いています。

 主演は堺雅人に加えて、香川照之、広末涼子。
 香川照之は最近、あちこちの映画やドラマに出演しておられます。大活躍ですな。つい先日も『るろうに剣心』(2012年)で悪役を楽しそうに演じていたのを観たばかりですよ。
 広末涼子の方は『ゼロの焦点』(2009年)以来です。訥々とした話し方が独特で味わい深いです。

 冒頭の三人を描いたプロローグ部分がなかなか秀逸で、接点の無かった三人の人生が交錯していく過程が無理なく描かれておりました。
 まずは広末涼子。出版社で雑誌編集長として真面目に働いているが、いきなり職場で結婚宣言をブチかます。相手は未定だが、二ヶ月後には結婚したいと云うあたりが、かなり無茶ですが本人は至って真剣です。
 かくして自ら期限を切って背水の陣を敷いた広末は、ブライダル・ファイターとなる(どうしてもこの展開は島本和彦のコミックスを思い出してしまいます)。

 次に香川照之。高級ブランドに身を包んでいるものの、目つきが鋭すぎて怪しい人です。趣味がいいのか好む音楽もクラシック。
 夜間、ある人物を尾行しているように張り込んでいる。
 標的が家から出てきたところで、鮮やかに刺し殺して車のトランクに放り込む。実に手際が良く、プロの仕事です。

 そして堺雅人。ボロいアパートの一室で目が覚める。首には首吊り用の縄。自殺を図ったが安普請が災いして、床に落下し、甦生してしまったらしい(メル・ギブソン主演の『それでも、愛してる』(2011年)でも描かれておりましたが、首吊り自殺は場所を選ばないとねえ)。
 室内はあまりにもむさ苦しく、所持金は千円ちょい。郵便受けには、滞納した税金の督促状。
 財布の中から出てきた銭湯の割引券を見て、不意に風呂に入りに行こうと思い立つ堺雅人の演技がリアルです(台詞が無いのもいいです)。

 たまたま高級車を運転して渋滞に巻き込まれた香川照之が、シャツに飛び散った飛沫血痕を目に留め、次いで窓の外に銭湯の煙突を見つける場面も、委細は台詞なしで判らせる演出が巧い。これだけで、香川照之が几帳面な上にキレイ好きであることが判ります。堺雅人と対照的。
 しかし銭湯の煙突というものも最近では見かけなくなりました。このあたりのちょっとアナクロな感覚が、懐かしいと云うか。
 『テルマエ・ロマエ』(2012年)でも描かれておりましたが、もうじき日本から消えてなくなる光景なのかと思うと残念です。スーパー銭湯も、シンボルとして煙突を立てればいいのに(ボーリング場が巨大なピンを屋根の上に載せてるみたいに)。

 そして殺し屋は銭湯の浴場で転倒して後頭部を強打し、記憶喪失に。自殺志願の若者がとっさにロッカーの鍵を入れ替え、ふたりの人生が交換される。
 全体的な物語の進行が洒落た感じで、ビリー・ワイルダーのコメディ映画を観ているような感じでした。
 それにしても予告編で何度も観ましたが、香川照之の転倒場面は本当に素晴らしいデスね。CG合成もごく普通に、違和感なく使用できるようになったことに感慨深いものを覚えます。
 しかも通常はワイヤーで吊るべき場面ですが、全裸での転倒なので、器具を装着できず、このシーンは香川照之個人の「技」としての転倒であったと云うのが見事です。
 実に豪快な全裸転倒でした。

 タイトルにもなった「メソッド」とは、メソッド演劇法と呼ばれるものであり、劇中でも堺雅人が「俺の演技はストラスバーグのメソッドが基本なんだよ!」と叫ぶ場面もあります。
 アメリカの演劇界に於いて体系づけられた革新的な手法と云うか演劇理論だそうですが、古典的な演劇手法に重きを置いたイギリスの俳優陣には胡散臭く思われていたらしいと云うのは、『マリリン 7日間の恋』(2011年)でも描かれておりましたですね。ケネス・ブラナー演じるローレンス・オリヴィエが「メソッドなんてクソ食らえだッ」と吐き捨てるように評していたのを覚えております。

 物語は記憶を失い、自分を「売れない役者」だと信じ込んだ香川照之と、婚活中の広末涼子によるラブロマンスとして展開していきます。「健康で、努力家なひと」という条件に見事に合致する殺し屋さん。
 几帳面な性格も気が合いそうです。
 香川照之の演技力が遺憾なく発揮されており、もうこうなると何をやっても可笑しくなります。
 映画撮影のエキストラで、チンピラ役を振られ、監督から絶賛される(そりゃそうだ)。
 人間、何事も前向きで一所懸命であれば、ゼロからスタートしても何とかなるもんだという、隠れたメッセージのようにも受け取れます。多分、記憶が戻らなくても、役者として成功していったのではないか。

 その反対に、役者のくせに演技がド下手な堺雅人の方も笑わせてくれます。
 ヤクザのボスに追加の殺しも依頼され、自分が入れ替わってしまった香川の素性を探ろうと、刑事や新聞記者に化けて関係者に聞き込みを行うのですが、これが見事にステロタイプ丸出しな演技。
 どこがメソッド演劇法なのか判りません。実にオーバーな表現主義的かつ古典的──と云うか、単にベタで暑苦しい──演技です(笑)。
 一番ベタなのが、後半に披露してくれる「刺されて死ぬ演技」ですけど。
 この素人臭い演技で観客を笑わせながら、ギリギリの線を保ち続ける堺雅人が素晴らしいです。実力派に大根役者を演じさせるのが、三谷幸喜監督の『ザ・マジックアワー』(2008年)と同じで、笑わせてくれます(あっちは佐藤浩市でした)。
 そして大根演技を繰り返しながら、最後の最後で一世一代の名演技を披露してくれるのも痛快です(でもバレますけどね)。

 共演となる他の出演人も達者な人たちばかりです。
 ヤクザのボスの荒川良々。どこかで観た人だと思っていたら(個性的な顔立ちなので印象に残ります)──でも『全然大丈夫』(2008年)とか観てないデス。すんません──、京極夏彦原作のミステリー映画『姑獲鳥の夏』(2005年)と『魍魎の匣』(2007年)に出演されておりましたね。阿部寛演じる破天荒な探偵の助手の役でした。
 本作中で一番リアルかつシリアスな人で、マジで怖いです。部下を殴るときに必ず小銭を握ってから、腹を殴る。あれは痛そう。
 そのくせ、自分の愛人を殺させようとするときには「なるべく苦しまないように」と情けを掛けたりする一面も見せたりする。悪党なのにちょっと人間くさい。

 考えてみると完全な悪人と云えるのはこのボスだけで、その手下はなんだか間抜けだし、実は香川照之も善人だったと云う展開が、作品を明るくしております。
 堺雅人に至っては「何故、逃げなかった」と訊かれて、ポカンとするばかり。他人を見捨てて逃げ出すことなど思いも寄らぬほどに善人の小市民。まぁ、他人のお金を景気良く使ってしまう程度には小悪党ですが、人殺しだけは絶対に出来ないし、殺される人を見捨てることも出来ないというのが好感の持てる人物です。

 コメディとしても、ミステリとしても良くできており、様々なことにちゃんと理由があって伏線となっているのが見事です。
 広末涼子が香川照之と知り合う経緯も、きちんと描かれ、やがて「何故、広末は結婚を急ぐのか」と云う理由にも繋がっていく。
 何から何まで計算された演出で、香川照之が記憶を取り戻す理由も、実に無理がないです。
 最後のトリックが広末涼子の職業にも関係していたとか、堺雅人の自殺未遂に至った動機も、見た目どおりではないとか、『アフタースクール』もそうでしたが、見た目どおりなものはほとんどないと云うのが驚異的です。
 女性が「男性に胸キュンするとき」と云う定義までキチンと前降りをしてから、ラストに生かす演出に感動しました。しかも二段オチ。そこまでするか。

 内田けんじ監督の、計算し尽くした脚本には脱帽するばかりですが、きっと劇中の香川照之のように几帳面にノートを付け、あらゆる角度から検討を重ねているのだろうなあと感じられました。
 まさに「完璧な脚本」ですわ。うーむ。誉めてばかりのような気がしますが、本年ベストの邦画として『外事警察/その男に騙されるな』(2012年)と並べて推しておきたいデス。


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