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2012年5月18日金曜日

フェイシズ

(Faces in the Crowd )

 いつもは超絶アクションでゾンビ共をバッタバッタと薙ぎ倒している凛々しいミラ・ジョヴォヴィッチ(以下、ミラ姐さん)主演のサスペンス・スリラー映画です。本作でのミラ姐さんは華麗に身を翻して銃弾をかわしたり、壁を走ったり、二丁拳銃でドンパチやったりしません。一転して連続殺人鬼に怯えてオロオロ逃げまどい、情けなく悲鳴を上げる弱々しいヒロインを演じています。
 ああっ、これはこれでなんか新鮮っ!

 まあ、ミラ姐さんもサスペンス映画に出演するのはコレが初めてというわけでは無いです。『パーフェクト・ゲッタウェイ』(2009年)とか、過去にも例はある。でも本作ではラストで開き直って殺人犯と対峙したり、それなりにアクション場面をこなしたりはしません。今回は本当に怯えて逃げまくるのみ。
 とにかく今回のミラ姐さんはフツーの人です。優しい幼稚園の先生という役。
 恋人と同棲中だが結婚にはまだ至らず、独身のアラサー仲間と飲んではしゃいだりもする。

 ある夜、友達と飲んだ帰り道、まったく偶然に、世間を騒がす連続殺人鬼の犯行現場を目撃してしまう。橋の上に追いつめられたミラ姐さんは、誤って欄干から川へ転落する。
 転落するときに、欄干から身を乗り出してこちらを見つめている殺人鬼の顔をはっきりと見た──のだが、次の瞬間に橋桁に後頭部を強打して気絶。そのまま水面に落下。
 川下にいるホームレスが浮かんでいるミラ姐さんを引き上げて通報。
 一週間の昏睡から醒めたとき、ミラ姐さんには恋人の顔も、友達の顔も、まったく判らなくなっていた。

 ミラ姐さんは、「相貌失認」と診断されてしまう。
 橋桁に頭をぶつけたせいで、脳に損傷を受け、視覚情報と記憶が巧くマッチング出来なくなったのだと云う。しかもそれが人の顔についてだけ発生するという、とても珍しい症状。

 人の顔が思い出せない。誰の顔を見ても常に初対面に感じられる。いつ治るとも判らない。そもそも治るのかどうかでさえ、断言できないやっかいな障害を抱え込んでしまう。
 当初は警察も、初めて目撃者が現れたことで喜ぶが、容疑者の写真の識別さえ出来ないミラ姐さんはまったく役に立たない。
 しかし殺人鬼の方は、自分の顔をしっかり見られたと認識しており、唯一の目撃者を始末しようと近づいてくる(橋から落ちたときにハンドバッグとケータイを現場に残してしまったのでバレバレ)。
 だがミラ姐さんには、もはや殺人鬼がすぐ隣にいても、もう判らないのだ。

 恋人でさえ、他人に感じられる。
 毎朝、目覚めたときに隣で寝ている男が誰だか判らない。「それって最高じゃない」と浮気な友人は云うが、ミラ姐さんには冗談ごとでは無い。
 幼稚園ではあれほど生徒達を瞬時に識別し、送り迎えに来た保護者がどの子供の親なのか見分けることが出来たのに、もはやサッパリ。
 ハマっていたFacebookも楽しくない。もうプロフィールの顔写真もナニも判らない。
 結局、恋人とはよそよそしくなって破局してしまい、職場も長期の休職を強いられる。

 今までも「事件の目撃者が実は盲人だった」と云うサスペンス映画は何本もありますが、今回はちょっとヒネった展開です。
 監督・脚本はジュリアン・マニャ。今まで『ガーフィールド』や『アイアンマン』のアニメ・シリーズを多く監督されてきたそうな。実写長編映画は『ブラッディ・マロリー』(2002年)があるそうですが未見デス。私は本作が初めてですが、なかなか手堅い演出をされる監督さんです。

 本作の特徴である「主人公の相貌失認」を表現する演出も、ハイテクとローテクを使い分けていて、なかなか巧い。
 巧すぎて観ている側も、ミラ姐さんと同じく誰が誰やら判らなくなってしまうのが、困ったところですが。

 ハイテクなのはCG合成。鏡に映るミラ姐さんの顔が、別人になるというのは、もはや特に驚くようなものではありません(自分の顔も判らなくなるというのが難儀な症状です)。
 CGで首をすげ替えたり、人物の表情をビミョーにボカしたり、ダブラせたりするのも、手法としてはよく判る。

 判んないのはローテクの方で、これがかえって効果的に感じられます。
 即ち、同一の役を複数の役者が演じている。
 会う度に別人、常に初対面なのだから、恋人や友人も複数の役者が演じている。背格好が似ていて目の色や髪型が同じ役者が、ひとりの人物として登場する。
 これがもうややこしいったらありゃしない。

 有名俳優ならいざ知らず、よく知らない俳優さんが入れ替わりながら登場する。刑事役には四人、犯人役には五人、二人いる友人役にも五から六人が起用されたそうです。極めつけは破局してしまう恋人役で、十二人もの役者が、場面が変わる度にくるくると。その上、同一の役者が一人二役を演じることもあります。
 さっき刑事だった人が、次は同じ顔で別の役として出ている。警察関係者を演じた人が、今度は殺人鬼に殺されるホームレスの役も演じています。
 何が何だがワケが判らないヨ!

 「外国人の顔は皆同じに見える」方には、もう誰が誰やらでしょう。いや、それとも「この人は最初からこうだった」と思われて、違和感なしなのか。
 私は、そのような演出であるとは知らずに観ていたので、どうにもヘンな感じがして困りました(それが狙った効果なのでしょうが)。
 中には途中で俳優が交代していることに気がつかないままな役もありました。違いがビミョーすぎて見分けがつかんわ(汗)。
 ミラ姐さんの不安な心理状態が強調される巧い手だとは思いますが、実は刑事が殺人鬼なのではとか、実は恋人が犯人なのではというミスリードが連発されて混乱してしまいました。

 でも、はっきり判る場合は、ギャグになります。
 当初、ミラ姐さんには事件の捜査に当たる刑事さんだけは、明確に認識できる状態です。実は顎髭バリバリなワイルドな刑事さんで、髭が識別のポイントだったわけです。ストーリー上、ヒゲ面のキャラクターはこの人しかおりませんし。
 捜査の過程で刑事と被害者が親密になると云うのは、定番の展開。職業倫理上、やっちゃイカンと云われても、どうしようもないか。
 共に一夜を過ごし、翌朝に刑事さんは身だしなみを整えようと髭を剃り始め……。
 こざっぱりして振り返ったら、完全に別人(文字通りの意味で)でした。
 いくら何でも男前になりすぎです(笑)。
 「メガネを外したら超絶美人」というシチュエーションをシリアスでやってくれました。

 医師の助言により、何とか人物を識別する技術を磨こうとするミラ姐さん。
 耳の聞こえない人が読唇術を学ぶように、顔以外の点で人を見分けようとする。しかしビジネスマンを識別するのにネクタイの柄を使うのは、ちょっと無理があったか。何となく巧くいきそうでも、同じ柄のネクタイなんぞザラにありそうですからね(しかもこれからのクールビズ時代には役に立ちそうにないし)。
 それでもビミョーな仕草や身体の動きを見分けようと頑張るミラ姐さん。

 そうこうするうちに殺人鬼の方もミラ姐さんの身辺状況を調べ上げ、ねちねちといたぶるように接近してくる。
 服装を変えてしまえば、もはや識別できないと知った犯人は、遂にミラ姐さんに罠を仕掛けてくる。間一髪で策略を見抜いたミラ姐さんは逃げ出すが、殺人鬼は執拗に追ってくる。時を同じくして殺人鬼の正体に気付いた刑事も、ミラ姐さんを救うべく駆けつけるのだが……。
 クライマックスは最初の目撃現場となった橋の上。
 刑事と犯人の双方がミラ姐さんに近づいてくるが、どちらへ逃げれば良いのか判らないというシチュエーションは、なかなかにスリリングでした(二人とも同じ服装をしている)。
 このときの刑事の機転が巧い。その手があったか。

 事件解決後、過疎の村で過ごすミラ姐さん。都会の群衆にはもはや適応できなくても、生徒が六人しかいない学校では、相貌失認も然したる障害ではない。村人も容易に認識できるという解決策がほんの少しだけ救いに感じられます。
 なにやら「人間の本質とは見た目だけなのか」という深遠なテーマにも少し触れたような気がいたしますが、基本はサスペンス映画なので哲学的なことは各自で考察いたしましょう。


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