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2015年6月16日火曜日

ハンガー・ゲーム FINAL : レジスタンス

(The Hunger Games : Mockingjay Part 1)

 スーザン・コリンズのSF小説『ハンガー・ゲーム』シリーズの第三作『ハンガー・ゲーム3/マネシカケスの少女』の映画化です。原作は三部作ですが映画化に際して完結編は二分割されて前後編になりました。そこは当初からの予定通りなので製作は順調ですね。
 しかし二作目『ハンガー・ゲーム2』(2013年)の公開後に、出演者の一人であるフィリップ・シーモア・ホフマンが亡くなられたので(2014年2月2日逝去)、いささか心配ではありました。どう考えてもこの先をシーモア抜きで進めることは出来ないだろうし、代役を立てるのも難しいでしょう。
 だから邦題に「FINAL」と銘打たれていたのを見たときは、計画を変更してストーリーを三作に無理矢理詰め込み、これでお終いにしてしまうのかと勘違いしそうになりました。でも原題にしっかりと “Mockingjay Part 1” とありましたね。

 最終作 “Mockingjay Part 2” は『ハンガー・ゲーム FINAL : レボリューションズ』として公開予定であります。エンドクレジット後に予告も付きましたし。本作の公開が二作目から少し間が空いてしまいましたが、逆に最終作は間を開けずに年内(2015年中)に公開されるようです。平均すれば一年に一作で、四年で完結するペースが守られております。製作会社のライオンズゲート、頑張りました。
 単なるラノベSFにしては、第一作も第二作も一四〇分越えの長尺で、しかも完結編はそれでも納まらずに前後編とは、製作会社の気合いの入れようが伺えますね(本作は128分)。

 ところでそのライオンズゲートは、フィリップ・シーモア・ホフマンの出演シーンのほとんどは撮影済みであるとの声明を発表しておりますので、最終作でもその姿を拝むことはできるようです。すると『ハンガー・ゲーム』シリーズが彼の遺作か。
 エンドクレジットには「フィリップ・シーモア・ホフマンに捧ぐ」と献辞も表示されますし。

 元からドナルド・サザーランドや、スタンリー・トゥッチ、ウディ・ハレルソンといった名優の皆さんが脇を固めてくれていた作品でしたが、二作目になって更にフィリップ・シーモア・ホフマンや、ジェフリー・ライトが参加してどんどん出演陣が豪華になっていきましたね。
 本作ではダメ押し的にジュリアン・ムーアまでが登場してくれます。オスカー俳優を多数起用して豪華すぎなのでは(主演もオスカー女優だし)。
 監督も前作に引き続きフランシス・ローレンス監督の続投。音楽は第一作から変わらずジェームズ・ニュートン・ハワードのままなのが嬉しいです。

 原作未読のまま鑑賞しておりますので、結末については判らないままです。第一作を観たときにはゲーム終了後、速攻で革命が勃発してドナルド・サザーランドの大統領はあっさり失脚するのかと思われましたが、意外としぶといパネム独裁政権です。
 とりあえず本編開始前に「前回までのハンガー・ゲームは」的なノリのダイジェスト紹介がありました。もうほとんどTVシリーズも同然。
 ジェニファー・ローレンスとジョシュ・ハッチャーソン、リアム・ヘムズワースの三角関係もまだまだ続いております(と云うか、本格的な三角関係は始まってもいないような)。

 ジェニファー・ローレンスの指を三本立てる仕草がパネムの圧政に苦しむ人々に浸透していく様子がダイジェストにも描かれており、本作に於いてもますますこのサインが使われていきますが、現実世界でも真似する人が多いようですね。
 タイの反軍事政権デモでも参加者がこの三本指サインを行ったり──おかげで本作の上映は中止されたそうな──、香港の学生運動でも使われていたそうです。圧政への共通の抵抗サインとして認知されてしまうのでしょうか。

 ともあれ、二回目のハンガーゲームへの強制出場後、革命勢力によってフィールドから救出されたカットニス(ジェニファー・ローレンス)が、本作では更に革命のシンボルに担ぎ上げられていく過程が描かれていきます。
 しかしピーター(ジョシュ・ハッチャーソン)までは救出されず、一緒に助けられたフィニック(サム・クラフリン)も、恋人をパネムに残したまま。
 更に反抗勢力への見せしめとして故郷の第一二区は爆撃で破壊され、家族の生死も不明なまま、謎の第一三区へ到着です。

 かつて破壊された第一三区の地下に、反抗勢力は一大拠点を築き上げていたのだ──と云うところで、レジスタンスの秘密基地が描かれるワケですが、これがなかなか大きな組織で立派な軍隊も持っている。施設はすべて地下にあるようで、飛行機が近づくと擬装された進入路が開く、と云う特撮マニア好みの設定が楽しいデス。
 前作では「かつて第一三区は核攻撃で壊滅した」と云われていたと記憶しておりますが、本作で観る限り、特に核汚染されているようには見受けられませんです。核攻撃云々と云うのが体制側が流したデマだったのか、製作サイドの核攻撃についての認識が甘いのかは判りませんが、ちょっと肩透かしではあります。

 第一三区のレジスタンスを率いるリーダーとして登場するのが首相。演じるのはジュリアン・ムーア。
 「大統領」に敵対する勢力のリーダーだから「首相」と云うネーミングが判り易いですが、厳しい情勢下のリーダーとして結構クールに描かれていて、冷徹な一面を併せ持っております。
 実はフィリップ・シーモア・ホフマンはかねてからレジスタンスと通じていて、組織内でも幹部クラスだったりします。ジェフリー・ライトも同様か。
 随分と以前からレジスタンスは中央政府内に人員を浸透させていたようであります。よく発覚せずに今まで活動を続けていられたものだと感心しますが、ここへ来てその存在を明らかにし、体制に反旗を翻す理由がジェニファー・ローレンスの登場だけだと云うのが、ちょっと理由付けとしては弱いように思われました。
 まぁ、そんなところに難癖付けるのも野暮ではありますが。

 ところで、このシリーズは主人公の境遇や、殺人ゲームへの参加に至るまでの背景描写にかなり尺を使って説明するのがもはや定番演出になっていて、参加が決まってからもゲーム開始までの戦略の組立とか、他の参加メンバーの紹介とか、やたら丁寧な──ややもするとダレ気味な──演出が目立っておりましたが、本作に於いてもこのペースは崩しません。
 もう即、革命勃発でエエやんと思うのですが、なかなかそこに至るまでの紆余曲折が長い。と云うか、本格的な反攻作戦は後編に回されてしまうので、本作はまるまる全編が革命への序曲と云った扱いです。
 独立して本作だけ鑑賞するような方も少ないとは思いますが、完結編だと思っていたら完結編の前編だったと肩透かし食らう方はやっぱりいたのではなかろうか。

 本作ではジェニファーが覚悟を決めて革命のシンボルとなるのを承諾し、パネム全土で反抗が開始されていくまでを描くのがメインです。
 しかし革命のシンボルとしてデビューする際に、きちんとイメージ戦略が検討されるというのも目新しい演出ですね。過去、類似のストーリーは色々あれど、そこまで細かいところまで描いているのはあまり無かったように思われます。「ハンガー・ゲーム」シリーズは第一作からイメージ戦略が大きく扱われるのが特徴のようです。
 当初は殺人ゲームをエンタテインメントとしてショーアップする為の演出でしたが、ストーリーがゲームから離れてしまっても、やっぱり「圧政に反抗するシンボル」としてのアピールが大事であると語られます。
 ジュリアン・ムーアやフィリップ・シーモア・ホフマンがシリアスに話し合っているのですが、見た目が作戦会議なのか広告代理店の打合せなのかよく判らないデス。

 さて、そうなってくると大事なのはジェニファー本人よりも、ジェニファーをコーディネイトしてくれる人であり、本作でもエリザベス・バンクスが登場してくれたのは、軽くサプライズでありました。まさか生きていたとは思いませんでした。
 一方、スタイリスト役だったレニー・クラヴィッツの方は残念ながらお亡くなりになったと語られ、本作で活躍するのはエリザベス・バンクスのみです。
 実は、故郷の第一二区は壊滅したと云われていましたが、一部の住民はレジスタンス側の避難誘導で助かっていたらしい。数少ない生き残り組に属しながらも「あれが無い、これが無い」とレジスタンスの殺風景な基地生活に不満タラタラのエリザベス・バンクスが笑えます。あのケバいメイクと衣装がすっかり地味になってしまって、ちょっと可哀想ですね。

 エリザベスと共に、ジェニファーの恋人リアム・ヘムズワースや、愛する家族も実は助かっていたと云うあたりに若干の御都合主義を感じないではないですが、母や妹に再会できたのは僥倖でした。
 まぁ、リアム・ヘムズワースが退場してしまっては三角関係が続きませんし。
 そこから意を決して革命派のシンボルとなって、他の地区への共闘を呼びかける役を演じ始めるジェニファーですが、やっていることが芸能人がプロモーションビデオを作成しているようであります。
 専属の撮影スタッフが付いて、壊滅した故郷の瓦礫を背景にアジ演説をぶち、それを電波ジャックしてパネム各地に流すわけですが、ドナルド・サザーランドの側も黙っていません。
 捕虜にしたジョシュ・ハッチャーソンをカメラの前に引っ張り出し、スタンリー・トゥッチがインタビューする映像を流し始める。

 画面上、特に強制されている素振りも伺えないのに、レジスタンスに向かって降伏勧告も同然の和解を呼びかけるジョシュ・ハッチャーソンの姿が第一三区でウケる筈も無い。「裏切り者」呼ばわりされることに心を痛めるジェニファーです。
 ジョシュが体制側を支持する発言を繰り返すことには、何か理由があるのか。
 もはや革命運動がメディア合戦の様相を呈しております。双方の陣営がキャンペーンを張って、互いに相手陣営のイメージを落とそうと盛んに映像を流し合う。実力行使するよりも、どちらが大衆に支持されるかで対抗し合うと云うのが、ちょっと新鮮というか奇妙でした。
 風刺的な演出であると理解は出来ますが、リアルな映像加工が可能な世界に於いて──そこは現代と同じか──、映像だけに頼ったプロパガンダ合戦に意味があるのかと疑問に思わないでもないですね。

 他の地区の住民からすれば、どちらのプロパガンダ映像もあまり代わり映えがないと云うか、一方だけを信じる根拠が足りないように思われます。映像だけでは信憑性が足りないのでは。
 もっと物理的にドカーンとやる場面が欲しいなぁとは思うのですが、それは完結編までお預けか。
 ともあれ、抵抗を呼びかけるジェニファーのPV(笑)も少しずつ効果を現し始め、今まで描かれなかった他の地区でも反抗が開始されていきます。
 若干、SFとして疑問な場面もあるにはあります。例えば、「電力」を主な産品としている地区で、サボタージュが行われますが、そこに登場するのが「水力発電所」てのは、どうなんでしょね。
 巨大なダムが画になるのは判りますが、ダム一基を停止させるだけで未来都市なキャピトルを停電に追い込めるものなのか。第一作からの描写を観る限り、中央での電力消費は相当なものになる筈なのに……なんてツッ込むのはSF者の悪い癖か。
 そのあたりの科学考証よりもイメージ優先な演出がやっぱり寓話的です。

 クライマックスはジョシュ・ハッチャーソンを始め、囚われた仲間の救出作戦。本格的反抗に打って出る前に人質として利用されそうな仲間を救出するのは判りますが、山場としてはインパクトに欠ける気がしないでは無いデス。いや、頑張って緊迫感を盛り上げてはいますし、アクション演出としてもまずまずだとは思いますが。
 紆余曲折の末、囚われた仲間達を救出し、無事に帰還するレジスタンス達でありましたが、実はそこにはドナルド・サザーランド大統領の周到な罠が仕込まれていたのであった……。

 これはレジスタンスに対する有効な打撃となり得るのか、単なる嫌がらせの範疇なのでは。まぁ、ジェニファーの心を折るには有効だったかも知れません。
 前二作に比べても明確にクリフハンガーな「つづく」で終わってしまうのが、もはや連続TVドラマな雰囲気ですが、原作を二分割している以上、仕方ないか。今秋(11月予定)の完結編公開が待たれますデス。




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