出来れば主演のマイケル・キートンにも主演男優賞を受賞して戴きたかったです。こちらはノミネートだけでしたので残念です(受賞は『博士と彼女のセオリー』のエディ・レッドメインでしたね。スティーヴン・ホーキング博士の役だものなぁ)。
ゴールデングローブ賞(第72回)の方では男優賞(コメディー/ミュージカル部門)を受賞しているのですが。
本作ではマイケル・キートンの自虐ネタがこれでもかと炸裂しており、もはや架空の役名で出演するよりも本名でそのまま本人役として出演した方が良かったのではないかとさえ思えます。
当然、題名は『バードマン』ではなく、『バットマン』にして(笑)。
やはり版権の都合で架空のスーパーヒーローにせざるを得ないのか。本作がワーナー・ブラザーズ制作であればバットマンの名前を使うことも可能だったのでしょうが、残念ながら二〇世紀フォックス系の製作会社の作品ですからねえ。
しかし、かつてはスーパーヒーロー役で名を馳せたが、今では落ち目のハリウッド俳優が、シリアスな舞台劇で演技派として再起を図ろうとする──なんてストーリーは、モロにマイケル・キートンの姿にオーバーラップして見えます。
いや、マイケル・キートンは近年でも『ロボコップ』(2014年)や『ニード・フォー・スピード』(同年)などでもお見かけしますし、ハリウッド俳優として落ち目というわけでは……ないと信じたい(汗)。
でもマイケル・キートン主演の『バットマン』(1989年)から、もう四半世紀か。自分も歳食ったもんです。『バットマン・リターンズ』(1992年)からでも……あまり変わらんな。
ハリウッド俳優の自虐ネタが炸裂する映画としては、ジャン=クロード・ヴァン・ダム主演の『その男ヴァン・ダム』(2008年)が個人的にはナンバーワンなのですが、本作はそれに次ぐ出来映えでありましょう。マイケル・キートンが本人役でだったなら、一番になったかも。
とりあえず今年の俺的主演男優賞は、エディ・レッドメインでも、ベネディクト・カンバーバッチでもなく、マイケル・キートンのものデス(もう決めちゃった)。
本作に於けるマイケル・キートンは架空の役名ですが、本作では実在のハリウッド俳優や監督の名前がポンポン飛び出して、妙にリアリティに溢れた演出になっています。だから余計にマイケルも本人役なら良かったのにと思ってしまうのですが。
ジェレミー・レナーや、マイケル・ファスベンダーや、ロバート・ダウニー・Jr.の名前が飛び出し、「どいつもこいつもヒーロー映画に出演しやがって!」なんてマイケル・キートンが毒づく場面は、これ演技じゃないよね的にリアルです。ここは笑うところなのかしら。
今やヒーロー映画に出演していないハリウッド俳優を探す方が難しいくらいですねえ。
劇中では、「自分が人生で下した最高の判断は二〇年前に『バードマン4』への出演依頼を断ったことだ」なんて台詞もあります。
しかし今でもバードマン役者としてのイメージが拭い切れていないので、インタビューしに来た記者から「え、『バードマン4』に出演するんですか」なんて嬉しそうに訊かれたりしております。この記者はファンだったのね(笑)。
でも一〇年以上が経ってから続編が製作されるとか、リメイクされるとか、リブートされるなんてのは、近年ではよく見かけるパターンですし、あり得ないハナシではないか。
本当にマイケル・キートンが再びバットマンになる映画があれば、大ヒット間違い無しだと思うのですがねえ。
ほら、フランク・ミラーだって『バットマン : ダークナイト・ストライクス・アゲイン』を書いていますし、これをマイケル・キートン主演で映画化すればいいのでは。老境に達したブルース・ウェイン/バットマン役が現在のマイケル・キートンに超ハマると確信しております。
マイケル・キートンのことばかり書いてマスが、共演はエドワード・ノートン、エマ・ストーン、エイミー・ライアン、ナオミ・ワッツといった面々です。
エドワード・ノートンもアカデミー賞では助演男優賞にノミネートされておりましたが、惜しくも逸しております(『セッション』のJ・K・シモンズに持って行かれましたが、アレは仕方ないか)。
そう云えば、エドワード・ノートンもまた、アメコミ・ヒーロー映画に出演しておりましたね。『インクレディブル・ハルク』(2008年)のブルース・バナー/ハルク役でした。
本作は「元バットマン」と「元ハルク」の共演映画でしたか。
その割に、エドワード・ノートンもまた劇中では「低俗なハリウッド映画」に対して口を極めて罵っておりましたけれど(色々と自虐ネタが)。
エマ・ストーンは本作ではマイケル・キートンの娘で付き人の役です。この方も『アメイジング・スパイダーマン』(2012年)以降のスパイダーマン・シリーズではヒロイン役を張っておりますね。
エイミー・ライアンは、マイケル・キートンの離婚した元妻役。ナオミ・ワッツはエドワード・ノートンの恋人役という配役です。
他に、ブロードウェイ演劇界の辛口評論家の役でリンゼイ・ダンカンが出演しております。
配役も何気に豪華ですが、本作の音楽と撮影手法もまた印象的です。
劇伴はほぼドラムのソロ演奏のみで構成され、アントニオ・サンチェズと云うメキシコのジャズドラマーの独演会の様相を呈しております。劇中ではマイケル・キートンの心情をほぼドラムだけで表現しております。これはなかなか聴きものでした。
アントニオ・サンチェズ自身も二回ばかり画面に登場するのがお茶目です。単なる劇伴だろうと思って聴いていると、マイケル・キートンの背後でドラムを叩いている人がチラリと映ります。
これは「BGMだと思ってたら背景音でした」と云うギャグなのか。本作はコメディ映画だったのか。
それともアレはマイケル・キートンにしか見えないイマジナリーなドラマーだったのか(笑)。
また、撮影の方も凄い。手持ちカメラの映像による、ほぼ全編、ワンカットの超長回し映像です。いや、理屈で考えて、いくら何でもそんなに長回しが出来る筈は無いと思うのですが、CGエフェクトも使いながら無理なくシームレスに映像が繋がっているのは見事と云う他ありません。
さすがアカデミー撮影賞を受賞しただけのことはあります。
本作で撮影賞を受賞したエマニュエル・ルベツキは、『ゼロ・グラビティ』(2013年)に続いて二年連続のアカデミー撮影賞受賞となりました。
劇中では、序盤に数カット、クライマックスで数カット、断片的な映像が挿入されるだけで、あとはもうカメラはずーっとマイケル・キートンを追いかけ続けております。
このコダワリのカメラワークのお陰で、本作はストーリーと共に忘れ難い作品になりました。
一見するとドキュメンタリ・タッチですが、然り気なくCGエフェクト使いまくりで、実は凝ったファンタジー映画になっています。
冒頭から、いきなりマイケル・キートンには超能力があることが明かされる。劇場の楽屋で一人、結跏趺坐して宙に浮いております。実は念動力も使えたりして、手を触れずにものを動かしたりもしている。
イニャリトゥ監督はこの手の設定が実は好きなのかしら。『BIUTIFUL ビューティフル』(2010年)でも、主演のハビエル・バルデムさんは「死者と会話できる」霊能力者でしたが、あまりストーリーには関係ない設定だったような気がします。
しかもマイケル・キートンの超能力は、他人の目があるところでは使わない──それとも使えないのか──所為で、どうにも嘘くさい。単なる主観的な思い込みの描写なのかとも解釈できる演出です。
他人には聞こえない「バードマンの声」が耳元で囁く、くらいなら判り易いのですが、本作はその程度では済まさず、かなりマイケル・キートンの主観に歪められております。
どこまでが現実で、どこからが妄想なのか、境界が曖昧です。芝居のリハーサル中に気に入らない共演者が事故に遭うのは、念動力の効果なのか、まったくの偶然なのか。
劇中では、公私にわたって煮詰まった挙げ句、実体として顕現したバードマンに促され、空を飛んでしまう場面もあります。これは現実か……と思っていたら、実はタクシーで移動しているだけの幻覚だったとか、妄想と客観的事実のつなぎ目が存在しないワンカットの映像で展開していくので、余計にワケが判らなくなっていきます。
冷静に考えれば本作は、自分に超能力があると思い込み、パラノイア的な妄想に苛まれ、内なる声がバードマンの声として聞こえる精神的に不安定な役者の物語……の筈なのですが。
そう思わせておいて、実は本当に超能力者だったのかとも解釈できる演出が巧いです。ちょっとテリー・ギリアム監督作品を思わせるテイストも感じます。
しかし、そのようなシームレスなCG特撮も見事ですが──特に、突然出現する大怪獣がイキナリすぎて笑えます──、本作一番のハイライトは「マイケル・キートンがパンツ一丁で公衆の面前を歩いて行く」場面でしょう。これは特撮ではありません。
劇場の楽屋からローブ一枚引っ掛けた格好で煙草を吸おうとして裏通りに出て、アクシデントから締め出しを食らい、ローブもドアに挟まれて身動きできず、やむを得ずその場にローブを脱ぎ捨てパンツ一丁で劇場の正面入口まで回り込む羽目になる。
衆人環視の中での奇行は注目を浴び、スマホで撮影されて、動画はネット上に絶賛拡散してしまう。イマドキの有名人は辛いデスね。
余談ながら、アカデミー賞授賞式で司会のニール・パトリック・ハリスが、この場面を再現して笑いを取っておりました。ドルビー・シアターのステージ上にパンツ一丁で雄々しく立つニールの勇姿が忘れ難いデス。体当たりでウケを取りに行くのが見事でした。
ニール・パトリック・ハリスはつい最近も『ゴーン・ガール』(2014年)でのサイコな役が思い出されますが、実はお茶目な人だったのですね。
マイケル・キートンもここまでリスペクトされれば満足でしょう(笑)。
そして芝居のプレビューで、批評家に最悪の印象を与えてしまい、ブロードウェイでの再起もまた絶望的になる。人生の全てを賭けて挑んだにもかかわらず、何もかもが裏目に出てどん底状態のマイケル・キートンの姿が哀れです。
遂に舞台の上で、演技中に自殺を図るまでに追い詰められるのですが……。
人生、ナニが幸いとなるのか判りませんデス。自暴自棄の自殺未遂が「迫真の演技」として絶賛されるという急展開。
「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」が、本作のテーマなのか(そうかぁ?)。
マイケルを追い詰めていたバードマンの幻影が、自殺未遂騒動後は妙に矮小になったように見えるのは、精神的に回復している証なのでしょうか。
ハッピーエンドのような、でもやっぱり自己中的妄想の続きのような、人を食ったラストシーンでありました。果たして、エマ・ストーンは最後にナニを見たのか。
ちょっと狐につままれたような不思議な味わいの作品ですが、後味は悪くないですね。
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