ぶっちゃけ、元のデザインが東映の特撮番組──宇宙刑事シリーズに始まるメタルヒーロー路線──のようだとは当初から云われておりましたが、ポール・ヴァーホーヴェン監督の行きすぎたバイオレンス描写と、エドワード・ニューマイヤーの風刺的な脚本、ベイジル・ポールドゥリスの印象的なテーマ曲が素晴らしく、私の好きなSF映画の一本として心に刻まれております。
あれから四半世紀以上が過ぎて、遂に『ロボコップ』(1987年)もリメイクされるときが来ましたか。ヴァーホーヴェン監督作品では『トータル・リコール』(1990年)もリメイクされましたが、どうにもリメイクされるとヴァーホーヴェン流のバイオレンス描写が大人しくなってしまって、CG特撮などビジュアル的にはスタイリッシュになるものの、ドギツさが薄れてしまうのが難点でした。
『スターシップ・トゥルーパーズ』(1997年)もそうですが、ヴァーホーヴェン監督作品をリメイクしたり、続編を制作したりするなら、変な改変は止めた方がいいのにと云わざるを得ません。あの趣味の悪いところも魅力なのに。
今度はどうでしょう。
結論から申し上げると、やっぱり見た目がスタイリッシュに洗練されてはいるものの、アクの強いバイオレンス描写は鳴りを潜めてしまったように思われます。面白半分に腕を吹き飛ばされたり、頭を撃たれたり、工場廃液で人体が(特に意味なく)ドロドロになる、などと云ったロブ・ボッティン入魂の特殊メイクは、リメイク版ではスルーされてしまいました。うーむ。
毒のある風刺的な近未来描写も、ちょっと違う方向にシフトしている気がします。オリジナル版のヘンテコなTVCMがまた観られるのかと期待していたのですが。
その代わり、メカニックの描写は洗練され、色々とカッコ良くはなってはいますけどね。
あまりオリジナル版に拘泥すると楽しめないでしょうか(でもやっぱり色々と比べてしまうのですが)。
かつてはピーター・ウェラーが演じた主役のロボコップ/マーフィ巡査を演じるのは、ヨエル・キナマンです。スウェーデンの俳優で、『ドラゴン・タトゥーの女』(2011年)や、『デンジャラス・ラン』(2012年)にも出演しているそうですが、どこに出ていたのか思い出せません(汗)。
旧作の設定では、マーフィは巡査──まさにコップ──でしたが、本作では刑事のようです(制服を着ていない)。相棒と組んで囮捜査とかしますし、捜査中の事件が元で悪党共の仕掛けた爆弾により五体を吹き飛ばされて瀕死の重傷を負います。
また、旧作ではピーター・ウェラーはパントマイムを特訓して、ロボットぽい動きを強調しておりましたが、本作ではあまりそのような動きは見受けられません。現実の技術的進歩のおかげで、機械の動きもよりスピーディに、人間らしいものになっているからでしょうか。流れるような動作で銃を連射したり、バイクに跨がり高速で移動したりします。
相手の位置を見ることなく把握して射撃する撃ち方は、『リベリオン』(2002年)より早かったのに、今それをやると、ロボコップがガン=カタ撃ちをしているように見えてしまいました。ちょっと残念。
それに、日本の特撮ファンとしては、バイクに乗るよりも、バイクに変型してもらいたかったところです。その辺りの特撮センスは実は東映の特撮番組の方が優れているのかしら(欧米ではまだ早すぎるのかなぁ)。
ロボコップを製造するオムニ社の社長は、ダン・オハーリーからマイケル・キートンになりました。この辺りの設定は変更されて、ロニー・コックスやミゲル・フェラーが演じていたオムニ社の重役達は整理されたようです。ほぼマイケル・キートン演じるCEO一人に集約されてしまったように見受けられました。
新しい役として、ジャッキー・アール・ヘイリーがロボコップを訓練する軍事顧問として登場します。旧作における悪党クラレンス(カートウッド・スミス)ぽい役でしょうか。
しかしイマドキの先進企業のCEO役と云うと、どうしてもアップル社の故スティーブ・ジョブスみたいになってしまうのが、ちょっと笑えます。結構、マイケル・キートンは頑張ってジョブスっぽいCEOを演じています(でも悪党)。
特に意味なく、「黒い方がカッコイイ」とロボコップを黒くしてしまう。旧作のデザインが変更される理由が、CEOの一存か。それじゃあ、仕方ないか(笑)。
代わってロボコップを作り出す博士役がクローズアップされました。演じるのはゲイリー・オールドマンです。元々、義手や義足を開発する専門医だったのに、マイケル・キートンに引き抜かれてロボコップ開発の担当医に抜擢されます(このあたりもジョブスっぽく見える一因か)。
専門医として出来る限りのことはしているのに、マイケル・キートンからああしろ、こうしろと指図されてしまう姿がやるせない。スポンサーは具体的なことは考慮せず、イメージだけで「とにかくこんな感じのできあがりに。方法は任せるから。納期も守ってね」などと無茶ぶりしますからね。でもこれに真摯に対応しようと頑張るゲイリー・オールドマンです。どうにかして解決策を見つけ出してしまうのが凄い(その分、患者の方を蔑ろにしてしまいますが)。
特別出演的に、サミュエル・L・ジャクソンも登場します。ある意味、一番のワルでしょうか。
本作には、旧作での風刺的CMはありませんが、代わりに実に偏った報道番組の司会者としてサミュエルが登場してくれます。この右翼的かつ愛国的なニュースキャスターの偏向した報道っぷりがなかなか風刺的でした。
冒頭の「イランにおけるロボット兵の配備状況」から始まり、強引な理論でロボット兵のアメリカ国内配備に世論を誘導していこうとする。反対意見に聞く耳持たず、一方的なトークで決めつける。
これも実在するどこかの番組を揶揄しているのでしょうか。
サミュエルは時々、幕間に登場して報道番組の体でドラマの状況を説明してくれる役ですが、他の出演者とほとんど接点が無いのが残念でした。
旧作との一番の違いは、ロボコップの正体が最初から公になっていることでしょう。
正体不明の万能ロボ警官ではなく、最初から重症を負った警官が奇蹟的にロボット警官となって復活したと宣伝されております。だからマーフィも通常は人間の顔をさらしております。
出動する際に、頭の上からバイザーが降りてお馴染みのロボコップスタイルになるわけで、演じる俳優としてはこちらの方が演じやすいですかね。まぁ、口元が生身のままに剥き出しになっているデザインは変更できないでしょうか。
日本の特撮番組ぽく、口元まで覆うフルフェイスなバイザーの方が合理的に思われるのですが、それでは「ロボコップ」らしさが無くなりますか。黒いボディに赤く光るバイザーのスリットがスタイリッシュですが、ちょっと凶悪です。
ロボット兵として、ロボコップに先行して登場するのが、旧作でもお馴染みのED209です。二足歩行の恐竜のようなロボット兵器だけでなく、人型ロボットも登場するのが新しいでしょうか。まぁ、特撮ヒーロー番組における怪人と戦闘員のような関係ですね。
そしてロボコップとは、このロボット兵器の国内配備に向けた世論誘導の道具であることが強調されております。旧作のように、失敗作のEDに代わる製品ではない。
この辺りに、あれは「ロボット警官ではなく、サイボーグ警官ではないか」と云う旧作へのツッコミに対する回答が感じられました。勿論、人間の脳と機械の身体を備えた存在はサイボーグと呼ぶ方が正しいのですが。
そこを「一般市民のロボット兵器に対する不信感を拭い去る為にロボコップを導入する」と云う流れにしてしまう。サイボーグ警官なのに、敢えて「ロボコップ」と名付けることで、ロボット兵器のイメージアップを狙う戦略であることが伺えます。名前は大事ですからね。なかなか巧いコジツケです。
また、ロボコップが戦闘モードに移行した際、人間の意識が躊躇することでスムーズな動作を損なわぬよう、ゲイリー・オールドマンが脳に仕掛けを施すあたりに、最新の脳医学の成果も取り入れているのが興味深かったデス。
戦闘モードでは、判断はソフトウェアが行い、人間の脳は判断しない。そして意識はそれを追認するので、マーフィは自分が操られているとは決して意識しない(自覚出来ない)。
人間の自由意思に対する、ちょっとショッキングな仕掛けですが、意識と脳の関係が拡大しただけのようにも思えます。結局、この設定はそのままなので、それでいいのかとも思えるのですが、ゲイリー・オールドマンが味方に付いている限りは大丈夫でしょうか。
でも結構、ゲイリー・オールドマンはオムニ社の意向を優先させて、本当にマーフィの感情を抑え込んで、一時期は本当のロボットのようにしてしまったりしまうのですけど。まぁ、最後には良心の呵責から味方になってくれると云う美味しい役どころです。
旧作ではマーフィは当初、記憶を失っており、記憶を取り戻したときには、既に妻子はマーフィは死んだものと諦め、去った後という物悲しい設定でしたが、本作では夫婦愛、家族愛も描かれるので、妻子は結構、大きく扱われます。
マーフィの妻クララ役は、アビー・コーニッシュ。ザック・スナイダー監督の『エンジェル ウォーズ』(2011年)で、エミリー・ブラウニングと一緒に戦う仲間の一人でした(スイートピー役)。
幼い息子に接するヨエル・キナマンの演技がなかなか切ないです。
本作ではロボコップの右手は生身のままです。左手の機械に対して、右手の生身というのが、家族と接する際に重要に描かれておりましたが、実はクライマックスへの伏線だったというのが巧いです。
旧作では、右手は無事だったのに「バランスが悪いから斬り落とせ」などと容赦の無い改造が施されてしまいましたが、ゲイリー・オールドマンは出来るだけ生身の部分を残そうと頑張ってくれたようです。
だから旧作とはクライマックスの対決の描き方が異なる演出になりました。
旧作では、最後の敵であるオムニ社の重役(ロニー・コックス)に銃を向けることが出来ないところを、ほとんどコントのようなオチで切り抜けるのですが、本作は気合いと根性で克服してしまう。同じようにマイケル・キートンに銃を向けるロボコップですが、制限された動作を「右手が生身である」ことで、無理矢理に引き金を引いてしまうと云う展開になりました。
まぁ、同じコントを二回やるよりも、こちらの方がよろしいですかね。
劇中では、何度かマーフィの人間的な部分がロボコップのシステムを凌駕していく場面が伏線として描かれておりました。システムが設定した行動の優先順位を、人間性を取り戻したマーフィの意識が書き換えていくわけで、それをモニタしているゲイリー・オールドマンにも理由が判らないと云う場面。
人間の不屈の闘志はマシンの制限には屈しないという、旧作にあった人間賛歌的な演出を別方向から見せてくれているようでした。
でも設定の変更上、旧作のラストシーンで名前を問われたロボコップが、「マーフィ」と誇らしげに名乗る場面は無くなってしまいました。そりゃ仕方ないか(最初から正体判ってますし)。
出来るなら、好き勝手しゃべり放題のサミュエル・L・ジャクソンの番組に乱入して、カメラの前でサミーをボコボコにするエンディングを期待したのですが、それもなしとはちょっと残念デス。
総じて、出来の悪いリメイクではなかったと思うのデスが、ヴァーホーヴェン監督作品のインパクトには叶わないところがあるのも否めませんです。若手のジョゼ・パジーリャ監督としては、比較される相手が相手だけに、辛いところもあるのではとお察しします。
頑張って続編もお願いしたいところですが、日本製のニンジャロボットと対決するのは勘弁して戴きたい(笑)。
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