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2014年2月10日月曜日

スノーピアサー

(Snowpiercer)

 フランスのグラフィックノベルを原作とした、ポン・ジュノ監督によるSF映画です。韓米仏合作ですので、俳優も国際色豊かで特撮も派手な大作SFになりました。
 ポン・ジュノ監督作品なので、当然のようにソン・ガンホも出演しております。ポン・ジュノ&ソン・ガンホであれば、観ないわけには参りません。『殺人の追憶』(2003年)も、『グエムル/漢江の怪物』(2006年)も大好きです。ソン・ガンホ抜きですが『母なる証明』(2009年)もね。

 その他の出演者は、クリス・エヴァンス、ジェイミー・ベル、ジョン・ハート、エド・ハリス、ティルダ・スウィントン、オクタヴィア・スペンサーと、韓国映画ではなかなかお目にかかれない豪華な面子です(と云うか、今まで韓国映画では観たことないです)。ソン・ガンホがそれらの皆さんと同じフレームに納まっているのを観るのは、ちょっと奇妙な感じがしました。もっぱらクリス・エヴァンスと一緒のシーンが多かったデスが。
 本作は韓米仏合作ですので、ドロドロ愛憎劇な韓国映画らしいところはありません(偏見かな)。そもそもポン・ジュノ監督作品にはウェットな演出は少ないですし。

 フランスのグラフィックノベルが原作でありますので、SFとしてもかなり寓話のような、あまりリアルとは云えない、イメージ優先の設定であるのはやむを得ないところです。
 近未来の寒冷化した地球を舞台に、人類の生き残りを乗せた巨大な列車が走り続けており、列車内には車両毎に階級格差が生じているなんぞと云う設定は、ハード嗜好なSF者にはツッコミ処が満載です。ちょっと考えただけでも二〇年近く無補給、無メンテナンスで走り続けられる列車と云うものはナンセンスなのでは(車両もそうですが、路線にも保守は必要だろう)。
 そこがイメージ優先のフランスSFらしいと云えば、そうですね。だからと云って、寓話ぽいから面白くないわけではないです。細かいところはスルーして、車両毎に移り変わっていくイメージを楽しむだけでも、面白いデス。

 冒頭で、地球が寒冷化した原因が語られます。
 地球温暖化が相当進み、人類は大気中に温暖化を防ぐ人工冷却物質を散布する。いかなる作用によるものか、その物質は効果を発揮しすぎ、地球は逆に凍りつくほどに寒冷化してしまう。極端から極端に走ってしまうのが笑えます。
 時ならぬ氷河期の到来に、人類文明はあっさりと崩壊。この危機を見越していた天才ウィルフォード氏が走らせた列車〈スノーピアサー〉に乗り込めた僅かな避難民が、人類最後の生き残りとなって、凍結した世界を長大な路線に沿ってぐるぐる回り続けていると云う次第。
 路線図がちらりと映る場面がありますが、世界中の大陸を股にかけた長大な路線を一年間かけて周回しているようです。決まったポイントを通過するときが、〈スノーピアサー〉内部での新年になると云う場面もあります。
 そして〈スノーピアサー〉が走り出してから十七年が経過した西暦二〇三一年(……と云うことは、破局は西暦二〇一四年だったのか)。

 一応、エンジンは永久機関らしいとか、外部からの補給もなく生存出来ているのは、列車全体が完結した閉鎖生態系のバランスを保っているからであるなどと語られますが、ホンマかいなとツッコミ入れたくなるのは我慢です。
 それよりは、永久機関が生存を保証してくれる生活が続いた所為で、エンジンを神格化してしまい「聖なるエンジンが~」などと宗教が発生してしまうあたりの描写が興味深いです。「エンジン様」をあがめる宗教ですね。
 更に車両間での乗客の待遇に凄まじい格差が生じ、カースト制度にも似た社会が生じていたりします。一等車には富裕層、三等車には貧民層。そもそも避難民が乗り込んだ時点で、客車を振り分けるくじ引きが行われたそうで、一等車のチケットを引き当てた一部の者だけが裕福になり、ハズレのチケットを引いた大多数が三等車で底辺の生活を強いられています。
 もう少しバランス良く配置できなかったのかと思うのデスが、現代社会の縮図を投影する為の設定ですから仕方ない。こうなってくるとSFと云うよりも、ある種のファンタジーですね。

 一等車の乗客は優雅に暮らしているらしいのに、三等車両の乗客には配給制の食料──実に不味そうな「プロテインバー」なるゼリー状のブロック──だけ。着ているものも汚れまくったボロばかり。生活の向上を訴え、実力行使に出ようとする者も数年に一度は出てくるようです。
 文明の利器の使用も制限されたのか、カメラがないので写真が存在せず、三等車では「絵描き」が乗客たちのイラストを紙くずの裏にスケッチしています。何より生存が最優先の、非常に抑圧された社会です。
 十七年の間に、何度か「革命」が起きることがあったものの、全て武力により鎮圧されてしまい、三等車の貧民の生活は底辺のまま。
 列車内の世界であるので、先頭車両に行くほど上位の世界になる。勿論、最先頭は「機関車」であり、そこには〈スノーピアサー〉を支配するエンジン様と、そのエンジンを所有するウィルフォード氏がいるらしいが、三等車両には誰もウィルフォード氏の姿を見たものはいない。

 ここで貧民のリーダーとして登場するのがクリス・エヴァンス。何度か起きた革命騒動が鎮圧される度に指導者が処刑されて交代していき、今や比較的若い世代のクリスが皆をまとめている。身体は不自由だが、知恵者である老人としてウィリアム・ハートが登場し、相談役を務めています。
 クリス・エヴァンスを兄貴分として慕う若者が、ジェイミー・ベル。既に文明崩壊前の記憶がなく、列車内で生まれた世代がそこまで育っています。
 先頭車両のウィルフォード氏は姿を見せず、クリス達の当面の敵となるのが〈スノーピアサー〉内の「首相」と呼ばれているティルダ・スウィントンです。列車内に政府があるようですが、どう見てもウィルフォード氏の代弁者以上の役目はないようです。

 出演者の中でもティルダ・スウィントンが特筆ものです。云われてみないと「この人がティルダ・スウィントンである」と判らないくらいのメイクで登場してくれるので意表を突かれました。ぶ厚いメガネに入れ歯を装着して、元の人相をかなり変えております。
 首相は三等車乗客に向かって、「乗客は平等ではない」と云い放ち、情け容赦なく、見せしめの為に反抗的な一人の男の腕を切断して見せたりします。この場面はなかなかエグいです。
 世界が「列車」と云う形態である為か、妙に「順列」にこだわり、一等車を帽子に、三等車を靴に例えて、「靴が頭の上に乗ることはあり得ません」などと演説する場面が印象的でした。さすがは名女優です。ヘンなメイクの役でも楽しんで演じているように見受けられます。

 さて、そんな車両内で再び叛乱計画が企まれ、遂に何度目かの暴動が勃発し、革命勢力であるクリス・エヴァンスらが暴動鎮圧部隊を排除し、機関車制圧を目指して進攻していくのが全体のストーリーとなっています。
 車両毎に異なる世界が構築されており、様々な世界を通り抜けていく道中が面白いです。
 途中には給水車両があり、食料加工を行う工場車両があり、水耕栽培を行う農場車両があり、次世代の子供達を教育する学校車両等があります。もちろん富裕層向けのサウナやら、クラブやらも完備しています。何でもあるのな。
 中でも巨大な水槽を備えた食堂車が登場したときには笑いました。閉鎖生態系システムの都合上、一年に二回しか鮮魚を食べることが出来ないのに、専用のスシバーと板前さんまで用意しています。ウィルフォード氏は日本食のファンなのか(笑)。

 それらの車両は本来は厳重に仕切られているのですが、ここに〈スノーピアサー〉全体のセキュリティ・システムを構築した男がいて、これを味方に付けて次々に車両間の隔壁を解錠しながら進攻していきます。
 このセキュリティ破りのプロが、ソン・ガンホ。英語はカタコトで、専ら韓国語を喋っており、クリス・エヴァンス達とは翻訳機を介して会話します。たまに翻訳機を介さずに意思疎通できていたりするのは御愛敬ですが(笑)。
 ソン・ガンホだけでなく、劇中には英語以外の言語を喋る人達がいて、背景には各国語が飛び交う場面も見受けられます。このあたりにも〈スノーピアサー〉が世界の縮図であると云う演出が伺えます。
 日本語もちらりと聞こえてきたときは、ちょっと驚きました(しかもかなりネイティブな日本語でした)。

 寓話的なストーリーですが、アクション場面はなかなかの迫力です。特に鎮圧部隊の方も弾薬の補給がないので、基本的に刃物で斬り合う肉弾戦になるのが血生臭い。
 シチュエーション的にも、列車がトンネルを通過すると車両内が真っ暗闇になり、暗視スコープを付けた鎮圧部隊が優位になるが、そこを即席の松明で逆転するといった演出が巧いです。後方の車両から松明を掲げた救援が駆けつける様子が聖火ランナーを思わせる演出なのが笑えます。

 そして個人的にポン・ジュノ監督作品のアクション・シーンで期待しているのがドロップキック。
 『殺人の追憶』でも、『グエムル/漢江の怪物』でも、『母なる証明』でも、誰かが誰かを(あるいは何かを)蹴り飛ばすというか、両足揃えてキックをお見舞いする場面があって、これを毎回楽しみにしているのですが、本作にもちゃんとそれが継承されていたのが嬉しかったです。
 もう、アルフレッド・ヒッチコック監督のカメオ出演や、ジョン・ウー監督のハト飛ばしと同じようなトレードマークですね。
 本作でドロップキックを炸裂させるのはジェイミー・ベル。鎮圧部隊との乱戦になり、斬りつけられようとしたクリス・エヴァンスを助けようと、保安要員に向かってぶちかましてくれます。でもまぁ、ちょっと今回のキックは不発というか、ドロップキックじゃなくてただの体当たりに近い描写であったのが惜しい。ジェイミー、ちゃんと蹴ってくれよ。

 数々の困難を排し、仲間の犠牲も出しながら辿り着いた機関車で対面するウィルフォード氏役がエド・ハリスです。『崖っぷちの男』(2012年)でもかなり枯れた感がありましたが、虚無感を漂わせた異様なカリスマを発揮させているのが流石です。
 ちょっと説明不足な描写として、エド・ハリスがクリス・エヴァンスを自分の後継者に指名し、体制側に取り込もうとする場面がありました。一種の催眠というか、洗脳を施そうとする場面で、それなりに伏線はあったのですが──先頭車両に連れて行かれた仲間が人が変わったようになって働いていたり──、いまいち判り辛かったでしょうか。
 結局、〈スノーピアサー〉は保守不要と云われながら、壊れた部品が交換できない箇所は、人間を部品代わりに人力で動していたと真相が明かされる。

 早晩、〈スノーピアサー〉にも破局が訪れるのは避けられず、所詮は永遠に走り続けることなど出来なかったろうと思われるのですが、エド・ハリスはそれにあまり危機感を持っていない様子なのが気になりました。妙に虚無感を漂わせ、自身の生死にも人類の生存にも興味がない様子であったのが、ちょっと腑に落ちませんです。
 結局、クリス・エヴァンスが機関車を制圧した時点で、〈スノーピアサー〉自体の運行に終止符が打たれてしまうのですが……。
 総じて、ストーリーが寓話的すぎてあまりリアリティがないと云うか、豪快な脱線シーンは迫力あるのですが、あのラストシーンで人類は救われたと云えるのか正直、疑問ではあります。
 ビジュアル面ではなかなか印象的なSFファンタジーなのですが。




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