まぁ、近年日本で韓国映画がどれくらい受けるのかはよく判りませんが、映画は映画だし(でも仏像は返せ、コノヤロウ)。
それはそれとして、なかなか気合いの入った時代劇ではありました。
本作は、李氏朝鮮の第一五代国王、光海君とその影武者に選ばれた男を描いた宮廷陰謀劇になっております。主演のイ・ビョンホンは光海君と影武者の一人二役。時代劇に出演するのも、これが初めてであったそうで、何を云うにしても本作はイ・ビョンホンの魅力が炸裂しまくり。
私は特に熱烈なファンではありませぬが、俳優として風格が出てきましたように感じられます。
監督は『拝啓、愛しています』(2010年)のチュ・チャンミン。あちらは高齢者同士の恋愛ドラマでありましたが、今回は骨太な歴史劇です。
『拝啓、愛しています』では、ちょっと情に流され過ぎな演出が見受けられましたので、如何なものかと心配ではありましたが、個人的には本作の方が気に入りました。過剰なお涙頂戴演出も抑え気味なのがイイです。
さて、李氏朝鮮の頃の時代劇と云うと、昨年(2012年)観ましたキム・ハンミン監督の『神弓 KAMIYUMI』(2011年)なんてのが記憶に新しいところです。あちらは西暦一六二四年に仁祖が即位したところから始まり、一六三六年の「丙子胡乱」が描かれましたが、本作はそれより以前の一六一六年が背景となっております。
李氏朝鮮の歴代君主を見てみますと、光海君が第一五代目で、仁祖が第一六代目の国王となっている。
すると『神弓 KAMIYUMI』のファーストシーンは、イ・ビョンホン政権がクーデターで倒される場面と云うことになるのか。これが世に云う「仁祖反正」。
ちなみに光海君はクーデターで廃位されてしまったので、廟号はありません。
本作と『神弓 KAMIYUMI』を続けて観ると、歴史的背景に繋がりが感じられて、ちょっと興味深いかも。
この光海君、朝鮮史上では悪名高い暴君であったそうで、あまり評判がよろしくないらしい。しかし本作では従来からの解釈を変えて、根からの暴君ではなかったのだと描かれており、それなりに好感の持てる人物になっております。
元々、光海君は先代国王の庶子で次男であったそうで、即位の時からもう宮廷内には派閥争いが絶えず、常に暗殺の危険に晒されていたと云う説明が入ります。
つまり、元はそれなりにまともな君主であったのに、暗殺の恐怖に怯えている内に疑心暗鬼に駆られて暴君と化していったという次第。
そして暗殺の危険を回避する為に影武者を仕立てようとするワケで、これが道化師のハソン。イ・ビョンホンが瓜二つの男を見事に演じ分けております。
本物の光海君は凄みを漂わせたダークな男ですが、ハソンの方は道化師ですから実に剽軽です。しかも道化の芸が権力者の風刺ネタなので(中世ですし)、あまりのギャップに笑ってしまいます。
いつもの通り、宿屋の座敷で芸を披露していたところを、強引に拉致され、宮廷に引っ立てられる。過激なネタでヤリスギてしまい、首をはねられるのかと思いきや、持ちかけられたのが影武者の役。
二人のイ・ビョンホンが見つめ合うシーンの演じ分けが巧い。
そんな折、遂に光海君の毒殺未遂事件が発生し、健康を害した本物はしばらく身を隠して療養する羽目になる。そして翌日から、影武者ハソンが光海君となって、何事も無かったように振る舞うことなります。
序盤は、この影武者が慣れない宮廷生活に馴染もうと悪戦苦闘を繰り広げる様子が、ユーモアたっぷりに描かれていきます。このあたりはほとんどコメディ映画。
自分にも暗殺の危険があるなどと思い至っていない内は暢気なもので、華麗なる王様ライフを満喫しております。
ここでは、朝鮮王朝の君主の日々の生活がどのようなものだったのかが詳細に描かれ、歴史考証もしっかりしているように見受けられました。なかなか細かい風俗描写もあって興味深いです。
また、宮廷内のセットや衣装も豪華です。
この時代、先代国王(宣祖)の頃に日本が朝鮮に攻め込んだり──豊臣秀吉の「文禄の役(1592年)」ですね──していたので、戦後の復興期に当たる筈ですが、宮廷内にはもはや戦時の影は見えません。実にきらびやかです。
影武者ハソンは、光海君の腹心である官僚ホ・ギュン(リュ・スンリョン)や、世話係に任ぜられた宦官であるチョ内官(チャン・グァン)から特訓を受けて、大臣達の顔を覚え、光海君としての立ち居振る舞いから、発声の仕方まで叩き込まれていく。
このチョ内官がなかなか温厚ないい人で、「宦官イコール腹黒い奴」と云うイメージとは懸け離れていたのが面白いです。
ハソンも調子に乗って「宦官って、トイレはどうしてるの?」などとアホな質問しては困らせている。
また、さすがに王妃(ハン・ヒョジュ)と顔を合わせると、即バレすることが懸念され、王妃との面会は厳に禁じられております。あれこれ言い訳しながら、何とか会わずに済まそうとしておりましたが、とうとう逃げ切れなくなる。
美しい王妃を前にへどもどしながら、必死に取り繕おうとする様子が笑えます。
一方、そうこうする内にも、宮廷内での派閥闘争は休まることも無く、反対派閥の大臣達も君主の様子がどうもおかしいと云うことに気付き始める。
宮廷内の二大派閥として、〈北人派〉と〈西人派〉と云うのがあったそうで、光海君自身は〈北人派〉を支持しているので、劇中では〈西人派〉が悪役のように描かれております。
当初はホ・ギュン長官やチョ内官の操り人形になって、云われるままに発言し、反対派の大臣をやり込めたりしておりましたが、次第に慣れてくると影武者も自分でものを考え始める。
自分でもたまに本物の王だと勘違いし始めるような言動が目立ちだし、独自の判断で不正を正し始めます。素人なので空気読まない(読めない)上に、云っていることが正論なだけに反対するのが難しい。
影武者の正体を知っているホ・ギュンも、他人の目のあるところでは影武者に逆らうことが出来ない(あとで大目玉食らいますが)。
人間、慣れてくると図太くなっていくものですね。そして君主の性格が人が変わったように(実際、変わっておりますが)温厚になり、情に篤くなっていくので宮中でも人気が出始め、忠臣も増えていきます。
やがて影武者は、国民の生活を案じる本当に良い王になろうとするわけですが、そう簡単に巧くはいきません。
当時の社会情勢として、北方ではヌルハチが後金──後の「清」ですね──を建国して勢力を拡大しており、明が後金討伐の為に朝鮮にも援軍を求めて来る事態が出来する。
大体、今も昔も朝鮮は中国ベッタリでありますから、こんな要請を断れるはずもない。
ところが影武者はこれを断ろうとする。戦になれば駆り出されるのは国民であるので、影武者がこれを渋るのは当然ですが、宮中の重臣がそれでは納得しない。
口論となり、遂に影武者が啖呵を切る場面が痛快です。
「明あっての朝鮮ですぞ」
「この国は誰の国か。それならいっそ、国ごと献上してしまえッ」
朝鮮にそんな威勢の良いことを云える君主がいたとは誠に驚きであります。ホンマかいな。
しかし史実でも、光海君は明と後金の双方に挟まれて中立外交政策を採ったそうなので、あながちフィクションでもないのかしら。うーむ。しかもこれがイ・ビョンホンなので、実にカッコいいです。
まぁ、そんなことしちゃうので正体を疑われ、影武者の身が危うくなるのは当然ですね。
そしてその頃、ようやく本物の光海君は毒の影響を脱して回復してきます。でも暴君ですから、影武者と入れ替わって元に戻るときには、用済みの影武者を口封じに殺してしまおうと考える。もはやどっちに転んでも助かりそうにない。
ここで光海君も最初から暴君ではなかったのだと云う設定が効いてくるのが巧いです。
影武者のあまりに高潔な君主っぷりに、腹心のホ・ギュンが影武者がつけていた日記を本物に読ませます。私心のない言葉で書かれた理想の君主像に、暴君も初心を取り戻し、遂に目が覚める。
本物の王の精神が、本物の王の身体に宿り、光海君は理想の君主へと変貌を遂げるのであった……。いや、いささか御都合主義ぽいけど、感動的なのでよしとしましょう。
このあと、反対派の連中が押しかけてきて、偽物の正体を暴こうとしたらやっぱり本物でしたと慌てふためくお笑いの場面があるのはお約束デスね。
逆賊の陰謀は暴かれ、ハソンは無事に宮廷を脱出する。船に乗って去って行くハソンを見送って、ホ・ギュン長官は深々と一礼するのであった──と云うハッピーエンド。
劇中では、ラストに「光海君は国民を守って、明と対峙した唯一の国王であった」と字幕で解説されます。しかしそのお陰で、この物語の五年後には廃位の憂き目に遭うわけですが。
歴史上、暴君だったとされる君主の意外な解釈として、なかなか面白いドラマでした。
そして五年後には「仁祖反正」のクーデターが勃発し、〈西人派〉が政権を奪回。外交政策も、明に傾くようになる「崇明排清」に転換。
ここに「丙子胡乱」の種が蒔かれてしまうワケですが、この先は『神弓 KAMIYUMI』を御覧下さい。朝鮮の歴史も苦労の連続です。
ランキングに参加中です。お気に召されたならひとつ、応援クリックをお願いいたします。
にほんブログ村