大きめの戸建て住宅などを複数の仲間で共有して暮らすの際に、浴室、トイレ、キッチンが共有されるものが「シェアハウス」、個室に浴室やトイレまで付いていてシェアハウスよりも入居者の独立性が高いものが「コレクティブハウス」なのだとか。
日テレのドラマで、『シェアハウスの恋人』なんてのもありますね(観てないけど)。
もっぱら若い世代に人気だそうですが、これを老人達でやってみたのが本作であると申せましょう。老人版『シェアハウスの恋人』か。
老後の問題をユーモア・タッチで軽妙に描きながら、ちょっとしたロマンスも描かれますし。
また、シニア世代の性の問題にも踏み込んでいるあたり、なかなか興味深い。やはりフランスの映画はそのあたりの描写も怠りなしか(正確には本作はフランス・ドイツ合作ですが)。
老後の暮らしは如何にあるべきか。健康上の問題を抱え、要介護ではあるものの、同居して介護してくれる者はいない。息子や娘は独立し、今更世話になるのもイヤだ。かと云って介護施設で赤の他人に面倒見てもらいながら暮らすのも御免被りたい。
介護施設が怖ろしいというのは、先日観た中国映画『桃(タオ)さんのしあわせ』(2011年)でも描かれておりましたので、その気持ちはよく判ります。
青年時代から付き合いが長く、固い友情で結ばれている三人の男性が、一人が入院したことをきっかけに共同生活することを決める、と云うのが本筋であります。一人暮らしは心配だが、これならいざとなれば互いに互いを介護できる。何より気心の知れた仲間なのが安心ね。
しかし各人の奥さんはどうなんでしょうか。いくら旦那同士が親友で、夫婦間の付き合いも長いとは云え、抵抗があるのではないか。
こういうのは同性同士だと上手くいくような気がします。特に日本では、亭主同士や、奥さん同士の方が共同生活もスムーズに運ぶのでは。フランスでは複数夫婦の共同生活に違和感は無いのでしょうか。
まぁ、爺さんばかりの共同生活なんて映画では、画面に華がありませんけどねえ。
それに老老介護と云うのもちょっと心配ではあります。
本作で登場する三人の爺さんが、ピエール・リシャール、ギイ・ブドス、クロード・リッシュ。
三人のうち二人が妻帯者で、一人は遂に独身のままだったと云う設定。
ピエール・リシャールの奥さんを演じるのが、ジェーン・フォンダ。ギイ・ブドスの奥さんを演じるのが、ジェラルディン・チャップリンです。
本作は何よりも、ジェーン・フォンダの久々の出演作であるのが嬉しいデスね。近年、女優業に復帰されておりますが、どうにもビデオスルーが多くて未見なものばかりでして。『デブラ・ウィンガーを探して』(2002年)とかも観てないや(汗)。
ああ、『バーバレラ』(1968年)も遠くなったねえ。『黄昏』(1981年)からでも久しいです。
本作はフランスが舞台なので、流暢にフランス語を喋るジェーン・フォンダを観ることが出来ます。フランス住まいが長いから、もうフランス女優も同然ですね(でも日本語吹替版は是非、小原乃梨子さんでお願いします)。
ジェーン・フォンダは本作への出演を強く希望していたそうな。「死ぬまでにもう一度、フランス映画に出演する」と云うのが、ジェーンの「死ぬまでにしておくべき事リスト」のひとつだったとか。個人的にはこれ一作だけと云わず、もっと出演して戴きたいものです。
ある日、心臓発作で入院したクロードの見舞いに来た仲間達は、そこでのクロードが受けている粗末な扱いに激怒。親友をこんなところに置いていけるかと、強引に連れ出してギイの家で共同生活を始めることに。
最初から持ち家を持っている仲間がいるので手っ取り早いですが、ギイの奥さんが当所は難色を示すのは当然でしょう。本作ではこのあたりは、あまり深く突っ込まれません。
一方、ピエールとジェーンの夫婦にも問題がある。最近のピエールはアルツハイマーの初期症状が見受けられ、健忘症の度合いがひどくなりつつあったのだ。
飼い犬の散歩に出かけて帰ってきた後に、また散歩に連れて行こうとしたり、友人の誕生日を祝った直後に「明日の誕生パーティが楽しみだな」なんて云い出したりしております。本人が平気な顔をして云い放つので、これはかなり心配です。
また、老人なので体力の衰えも考慮しなくてはなりません。
ピエールが飼っている犬は結構な大型犬なので、散歩の途中で犬が走り始めると、もはや止めることが出来ない。引きずられて転倒する事故があり、一度は犬を保健所に預けるものの、すぐに預けたことや、転倒して怪我をしたことまで忘れてしまうので始末に負えない。
短期記憶だけが消えて、長期記憶はまだしっかりしていると云うのが厄介な症状です。
結局は「犬の散歩係」のバイトを雇う羽目になる。散歩係の青年デレクを演じているのは、ダニエル・ブリュール。
代表作の『グッバイ、レーニン!』(2003年)よりも『イングロリアス・バスターズ』(2009年)に登場したナチスの狙撃兵役の方が個人的に通りがいいデス(プロパガンダ映画に出演した彼ね)。『セブン・デイズ・イン・ハバナ』(2012年)の「水曜日」のエピソードにも登場しておりました(チョイ役ですが)。
実は問題は他にもあって、ジェーンはクロードよりも深刻な健康上の問題を抱えており、夫ピエールには隠していましたが、既に余命宣告されているような状態です。劇中では特に病名は告げられませんが、健康診断を担当した医者が直接、自宅にまで押しかけて来るあたり、症状は相当深刻なようです。
しかしジェーンに入院して治療する意思はない。内心、既に覚悟を決めているらしいのが伺えます。
序盤にはジェーンが独りで葬儀屋を訪れる場面があります。何やら葬儀の手配と、使用する棺桶のデザインを選んでいる。
「もっとカラフルで楽しい感じの棺がいいわ」とか云って、葬儀屋を困らせてますが、肝心の「いつ頃、御入り用になりますか」という質問には答えられない。
ジェーンが共同生活に賛成しているのは、自分が亡くなった後の夫ピエールの生活を心配しているからなのでした。
自分のことだけでなく、残された者のフォローまで考えているという手回しの良さ。
かくして五人の老人──そのうち二人が軽度の要介護──の共同生活が始まるワケですが、健康上の問題よりも、共同生活する上で発生するプライバシーの問題の方が厄介です。
生活のパターンが異なったり、ちょっとした習慣の違いも気になってしまう。
食事中にTVは点けたままにするのか、消しておくのかと云うのもそうですね。
そこでジェーンは犬の散歩係の青年に介護の手伝いまでお願いし始め、これが次第にエスカレートしていき、遂には住み込みでの介護同然にまでなる。
それと引き換えに、青年の研究論文として老人の生態観察を承諾するわけですが、世の中ギブアンドテイクです。
しかし共同生活だとプライバシーが保てないというのは、ある程度は覚悟しなければならないものなのか。誰に見せるつもりもなく保管していた私物も、ひょんな事から仲間の目に触れてしまう。長年、秘密にしていたことも、あっさりバレてしまうのが難儀です。
独身を貫きながら若い頃からプレイボーイ生活を謳歌していたクロードが、実は親友二人の奥さん達と不倫していたことがあったのだった。四〇年も前に終わった短期の浮気を「もう時効だ」と許せるか。
ピエールは軽く流すが、ギイは怒り心頭。絶交宣言まで飛び出す。
当事者には深刻でも、傍目にはちょっと笑えます。双方の奥様も自分達が二股を掛けられていたと知って、今更ながら呆れかえるのがユーモラスです。
本作では冒頭から過剰なまでにクロードの好色ぶりを紹介しているので、さもありなんと云う感じですが。
クロードが老いて尚そこまで色欲にしがみつこうとする態度は、もはやビョーキの域です。それがアイデンティティなのか。
『桃(タオ)さんのしあわせ』にも女遊びを止められない困った爺様が登場しますが、金銭に絡んだ描写ではないので、本作の方がまだ許せるか。ある意味、生き様を貫く姿勢が見事です。
しかし心臓に持病のある人がバイアグラを服用しちゃイカンじゃろう。如何に本人が望んだとしても。
命の危険があるかもと警告されながらも、バイアグラを飲んで女遊びに出かけていくクロード。腹上死こそフランス男子の本懐なのか。そこまでして一発ヤリたいのか。
そもそも最初の発作で入院したのも、若い娘と励んでいたのが原因だというのに、懲りない人です。
紆余曲折の末、クロードとギイは和解に至りますが、そんな老人達の騒がしい共同生活も、いつまでもそのまま続くわけがない。高齢者である以上、死は否応無しです。
ある日突然、ジェーンがポックリ逝ってしまう。
具合が悪くなって点滴している次の場面で、一足飛びに葬儀です(臨終シーンはスルー)。手配していた棺の色がピンクと云うのが何とも。
遺言に従い、葬儀は明るく楽しく、列席者にはシャンパンが振る舞われる。
沈痛な面持ちの仲間達ですが、本当にやりきれないのは翌日にやって来る。妻の死も、葬式を出したことも忘れてジェーンを探すピエールには、もはや掛けるべき言葉が見つからない。
アルツハイマーは本人よりも周囲の人を苦しめる病であると痛感しました。
妻を探して歩き回るピエールのあとから友人達が付いていく。ジェーンが亡くなっていることを告げるよりも、口々に彼女の名を呼ばわりながら一緒に探して歩く姿に思い遣りを感じました。
死は束の間の不在に過ぎないのか(でも、やりきれんデス)。
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