本作で登場するのは、それぞれに問題を抱えた七人の英国人男女。
味わい深い演技派が揃っておりますね。
主演であるジュディ・デンチを筆頭に、ビル・ナイ、ペネロープ・ウィルトン、セリア・イムリー、ロナルド・ピックアップ、トム・ウィルキンソン、マギー・スミス。
亭主に先立たれた未亡人、定年退職した熟年夫婦等、様々な理由で住む場所を変えねばならなくなった高齢者達が、偶然目に留めた広告。それが高齢者用長期滞在型ホテル「マリーゴールド・ホテル」の広告だった。
しかしイギリスからはるばるインドまで苦労した末に辿り着いたマリーゴールド・ホテルは、豪華リゾートホテルどころか、とんでもないオンボロ・ホテルだった。
本作は、快適な老後をインドで送ろうとする老人達が織り成す人間模様を、ユーモア・タッチで描くヒューマン・ドラマです。
監督はジョン・マッデン。『恋におちたシェイクスピア』(1998年)や、『コレリ大尉のマンドリン』(2001年)あたりは存じております。
長年、専業主婦だったジュディ・デンチは、旦那さんが亡くなって初めて借金が残されていたことを知る。やむなく家を売る羽目になるが、息子夫婦との同居は遠慮したい。
ビル・ナイとペネロープ・ウィルトンの夫婦は、娘が起業する為の資金に自分達の退職金を注ぎ込んでしまい、粗末な高齢者用集合住宅への転居を迫られている。
セリア・イムリーとロナルド・ピックアップは、それぞれ独身であるが、もはや出会い系サイトに登録しても新たな出遭いは望むべくもない。
トム・ウィルキンソンは長年判事を務めてきたが、同僚の死をきっかけに一念発起して退職を決意する。
マギー・スミスは高齢者医療の都合からイギリス国内での施術を諦め、海外での治療とリハビリを受けられる場所を探していた。
各人各様の事情を抱えた人々が同じ広告を目に留め、ヒースロー空港に集まってくるまでの下りがなかなか興味深い。短いエピソードが連続して、七人それぞれの事情を紹介していくのが巧いです。
中でもジュディ・デンチとマギー・スミスの二人が印象深いですね。実に対照的に描かれています。
おっとりして世間知らずで物腰の柔らかいジュディ・デンチと、ガミガミと小言と不平を垂れ流し続けているマギー・スミス。
この二人であれば、役を交換しても立派にこなせたのではないかと思えます(そちらのバージョンもちょっと観たいものです)。
ジュディ・デンチは、ついこの間まで〈007〉シリーズで英国諜報部を仕切る女傑として君臨しておりましたので、こんな弱々しい老婦人役と云うのがなかなか新鮮です。パソコンの操作方法が判らず、サポート・デスクに電話しても、相手の使う言葉が全然理解できない様子が微笑ましい(実にありがちな光景です)。
一方、マギー・スミスはまったく好きになれないほど、ガミガミと口うるさく、不平ばかり云っている。どんなに穏和な看護士でも、こんなババアはさっさと放り出したくなるでしょう。
しかもマギー・スミスがイヤミな婆さんであるのは、人種差別的言動を連発しているからで、現代のイギリスでそれはイカン。黒人の医者に向かって「イギリス人の医者にして頂戴」なんて、よく云えるものです。逆にその毛の生えた心臓に感心しますわ。
それが治療の都合で、インドの病院への転院を余儀なくされるエピソードが、災難ではありますがユーモラスです(半分は自業自得だし)。
ドラマ全体のナレーションはジュディ・デンチが務めており、ジュディのモノローグで進行していきます。これは日記代わりにブログをつけるようにしているからで、物語全体がジュディがブログに書き込んだ近況報告の体裁になっております。一人称日記形式の変形版ですね。
心配する息子にも、「いちいち電話しないから、ブログを読んでね」と云い残している。海外へ移住する場合には、なかなか便利なやり方ですね(一応、ブログがつけられる程度には習得したらしい)。
七人の中で最も頼りになるのがトム・ウィルキンソン演じる引退した判事です。少年時代をインドで過ごしていた経験者で、現地の事情にも通じている。インドに到着後、国内線の便が欠航になっても、すぐさま代替交通機関を提案し、目的地ジャイプールへ皆を先導していく。
しかしインドの長距離バスと云うのも凄まじい。今でもこんなにすし詰めで走っているのか。
「インドには〈満員〉と云う言葉は無い」そうですが(笑)。
本作の前半では、老人達がインドで遭遇する異文化との接触の様子が面白可笑しく語られていきます。子供らが路上で遊ぶスポーツがクリケットなのもお国柄です。
三輪タクシー〈トゥクトゥク〉や、人力タクシーが行き交うジャイプールの景観や雑踏の様子もなかなか興味深いです。日本じゃ三輪自動車はもう走れないですねえ。
カラフルな色彩と濃密な空気が感じられる景観は、先日観た『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』(2012年)でも描かれておりました。インドって活気に溢れておりますねえ。
そしてやっと到着したマリーゴールド・ホテルは凄まじいボロ・ホテル。
唖然とする七人を出迎えたのが、ホテルの支配人であるデヴ・パテル。実に調子の良い青年で、舌先三寸で世間を渡っているような奴です。眉毛も太いなぁ。
デヴ・パテルはダニー・ボイル監督の『スラムドッグ$ミリオネア』(2008年)で一躍有名になりましたが、次回作の『エアベンダー』(2010年)はイマイチでした(アレは……ナイト・シャマラン監督作ですし)。
本作では実に朗らかな好青年を演じております。
老人達からクレームをつけられても「まぁまぁ、細かい点にはこだわらないで。最後は万事めでたしですよ」と軽く流してしまう。インド人だからこそ出来る技でしょうか。
厚かましいのか図々しいのか、半ば呆れながらも他に行くあても無いのでホテルに投宿することになる老人達です。期待していたセカンドライフは果たしてどうなるのか。
お調子者に見えて、実はデヴの方も問題を抱えていたり、七人の高齢者にも隠れた目的を持つ者がいたりして、ドラマが進行していきます。
特に印象的なのがトム・ウィルキンソン。
序盤から自分はゲイであるとカミングアウトしておりましたが、実は少年時代にゲイであることが原因で、生涯忘れられない事件を起こし、それを後悔しながら生きてきたのだった。
西欧でも同性愛に寛容になったのは最近のことですが(まだまだか?)、況んや四〇年前のインドに於いておや。生涯の悔いを清算するべく、ジャイプールの市役所に通い詰めてかつての親友の行方を探し求める。
この元判事とかつての親友のめぐり逢いと和解のエピソードは忘れ難いです。
また、恐妻家でオドオドしていたビル・ナイがインドに着いてからは妙に生き生きし始める。久しく忘れていた人生を愉み始め、インドに馴染めない奥さんを尻目に、一人で歩き回り始める。
人生、何が契機になるか判らないものです。
マギー・スミスの方は、ホテルの従業員に掃除の仕方が悪いと注意したことで転機が訪れる。インド社会にはいまだにカースト制度が暗黙の内に存在している描写が興味深いです。
まだ「不可触賎民」なんて階級が存在しているのが日本人には理解できませんです。
そのメイドは誰からも無視されていた存在だったのに、マギー婆さんに声をかけられ、それが縁で家にまで招待される。
やがて頑なだった婆さんにも変化が訪れ、人嫌いとなった原因も語られます。明らかに有色人種を毛嫌いしていた言動も同じところに根があるのが察せられます。
各人がそれぞれに人生の転機を迎え始めたところで、マリーゴールド・ホテルに危機が訪れる。実はホテルはデヴの父の遺産だったが、母親はホテルを処分しようとしていたのだった。
デヴの調子の良い言動もホテル存続の為であり、彼なりに真剣な事情が明かされる。父親の遺産を守ろうとしていたわけですね。
ホテルを復活させ、恋人との結婚も成就させようとがむしゃらだったデヴですが、結婚を認めない母親の気持ちは揺るがない。
万事休すかと思われたところで、今まで一言も喋らなかった老人が立ち上がって語り始めたのにはタマゲました。今まで画面の片隅に時々映るホテルの備品のような爺さんで、ホームレスが棲みついているのかと思っていましたが(インドですし)、まさかそんな重要な人だったとは意表を突かれました。
そしてダメ押しにマギー婆さんの技能でホテルは救われる。高齢者の経験を舐めてはイカンと云うことですね。ちゃっかりオーナーのサポート役に納まるマギー婆さんの図が愉快です。
しかしどう見てもこれからのボスは婆さんの方だろう(笑)。
各人各様にセカンドライフを見いだす結末でハッピーエンド。ジュディにもちゃんとロマンスが訪れます。
「人が怖れるのは今のままの未来である」、「リスクを嫌って何もしないものは何も得ることは無い」とポジティブなメッセージが伝わる好感度高いヒューマン・ドラマでした。
「最後は万事めでたしとなる。もし不満があるのなら、それはまだ途中なのである」と云うのも、インド哲学的な名言ぽいですね。
トーマス・ニューマンのインド風なエキゾチックな劇伴もまた、なかなかの聴きものです。
ところで本作はデボラ・モガーの小説を原作としているそうですが、続編は無いのでしょうか。
オリジナル脚本で良いから、今度はマギー・スミスを主演にして、エピローグでサラっと流されたマリーゴールド・ホテルが立ち直っていく様子を、詳細にドラマ化して描いて戴きたい。ジュディ・デンチとデヴ・パテルも共演にして。
その場合、タイトルは『マリーゴールド・ホテルへいらっしゃい』かな。そんなベタベタな。
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