一応、邦画なのでクレジットもすべて日本語。監督名もカタカナで「アッバス・キアロスタミ」と表記されます。
なんとも不思議な感覚の映画でした。ストーリーがあるのか無いのかよく判らず(いや、あるにはあるが)、明快な結末が用意されているワケでもなく、たゆたうように観ていると唐突にエンディングを迎えると云う、実にビミョーなテイストですね。
アッバス・キアロスタミ監督作品は今まで観たこと無いので──『友だちのうちはどこ?』(1987年)とか『トスカーナの贋作』(2010年)とか噂には聞くものの──、イランの名匠の腕前を初めて味わいました。
キアロスタミ監督は小津安二郎のファンであると云うのが納得できました。まさにイランの小津安二郎。
全編日本で撮影されており、登場する俳優もすべて日本人で、台詞もすべて日本語です。
多少、首都圏に住む人間の目からすると、不自然な場面がありますが、そこはスルーしましょう。逆に、都内にJR静岡駅が現れる不思議なカットは、日本人監督には出せない奇妙な味わいですね。
主要な登場人物は、八四歳の元大学教授(奥野匡)と、デートクラブで働く女子大生(高梨臨)、その恋人である青年(加瀬亮)の三人だけ。
時間経過も丸一日経過しない、ごく僅かな時間の物語です。
しかも本作は恋愛映画じゃないです。奥野匡と高梨臨はロマンス的な関係にはなりません。
また、もう一方の高梨臨と加瀬亮の関係も、悪化の一途を辿って破局するだけ。
まさにジャズの名曲「ライク・サムワン・イン・ラブ」の如く、「恋をしている人のような」関係が展開していくのみ。恋ではなく、恋のようなナニカ。
ビミョーな人間関係と云うか、現代日本を象徴するかのような希薄な人間関係が描かれます。
物語もシンプルです。ぶっちゃけ、孤独な老人がデートクラブの女性を指名したら、翌日、女のカレシにそれがバレて大騒ぎになる──だけ。
何とも淡々としたドラマです。しかし不思議と退屈のあまり寝てしまうことはありませんでしたが、それが名匠の名匠たる所以なんでしょうか。人の心の機微についての興味深い考察でもあるような。
どの登場人物にも少しずつ問題があるので、観ていて感情移入しきれません。ただ、それが計算された演出であるのは、お見事です。
おかげで非常に醒めた目でドラマを観ていられます。どいつもこいつもけしからん。
まずはヒロインの高梨臨。都会で一人暮らしの女子大生で、デートクラブでバイトしている。
そもそも風俗まがいのバイトというのが如何なものかと思うのですが、つきあい始めた恋人に内緒にしていると云う時点で、あまり誠実とは云い難い。
案の定、隠し事をしていることで怪しまれ、冒頭から電話で責められている。しかも嘘に嘘を重ねて言い逃れようとしている。
だがカレシとのデートをキャンセルして、それでバイトに勤しむのかと云うと、そうでもない。指名されているのにそちらも断りたい素振り。
実は郷里から祖母が上京して来ており、会いたいとケータイにメッセージが残されていたのだった。祖母の上京は一日だけのことで、もう夜になっている。昼間のうちから何件も着信があったのに、どうやら気がついたのは夜になってかららしい。何故、昼間の内にそれに気が付かなかったのかは説明されません。
結局、祖母のメッセージには一回も応えることなく、指名した男性宅まで向かうことになる。
このあたりで高梨臨について、大分判ります。多少、説明的な台詞──祖母の留守録とか──がありますが、観ているだけで状況が察せられる脚本は巧いです。
しかしかなり不実な娘ですよ。主人公扱いなので一見すると可哀想ですが、同情の余地なしです。
そんなにイヤならバイトを辞めればいいのに、それはしない。
祖母に詫びの電話を入れることもせずに無視している。まる一日、おばあちゃんに待ちぼうけ食らわせるだけ。勿論、いかがわしいバイトをしていることは、実家にも内緒。
特に金銭的に困っている様子もないので、ただ遊ぶ為のお金欲しさにいかがわしいバイトを始めたが、それは実家にも恋人にも知られたくないというように見受けられます。嫌なことからは目を逸らすだけの無責任な態度。
その上、自分を指名してくれた男性(奥野匡)のマンションを訪問するが、ロクに仕事をしない。気分が塞いでいる所為もあるが、翌日は大学で試験があるとも云っている。
多少、サービス的に愛想良く会話するが、すぐにベッドに入って眠ってしまう。デートクラブのシステムがどうなっているのか、よくは存じませぬが、どう考えても顧客の満足度が高くなるような態度とは思えませんねえ。
それを云うと、そもそも奥野匡の方もどうかしている。妻に先立たれ、親類縁者も少ない所為か、孤独だと云うのは判ります。割といい暮らしをしているのは羨ましいですが。
それにしても自分の孫のような年齢の女性を自宅に招いて、食事とワインを振る舞い、懸命に御機嫌を取ろうとしている姿は、どうにも好きになれませんです。
挙げ句の果てに、女性が疲れて眠ってしまっても、何とか起こして「あっちでもっとお話しようよ。ワインもあるんだよ」と、何だか情けなくなるような態度です。
結局、期待したサービスは受けられず、朝まで何も無かったように見受けられます。しかし奥野匡はそれで怒った様子も見せずに、高梨臨を大学まで車に乗せて送っていく。
試験が終わった後、またデートの続きをしようと考えているらしく、終わるまで車の中で待機するというのが健気と云うか、いい歳こいてナニしているのかと、観ているこちらが説教したくなりますね。
高梨臨が大学構内に入っていく直前、加瀬亮が現れ、昨夜のことで再び責め始める。女は逃げるように構内に入っていくが、加瀬亮の方も試験が終わるまで待つつもりらしい。
校門前でふたりの男が手持ち無沙汰にしている図は、実に気まずいです。
ちょっとしたやりとりがあって、青年は老人を「恋人の祖父である」と誤解してしまうわけですが、それも無理からぬことです。
そして加瀬亮。喧嘩している様子を見ていると、第一印象はよくありませんが、相手が「恋人の祖父」だと勘違いしているので、自分から色々話し始めます。
最初は「結婚を考えている。ついては実家の御両親にも挨拶に伺いたい」などと殊勝なことを口にするので、実は好青年なのかと思われましたが、どうにも考え違いをしているように思われます。
恋人が何か隠し事をしている。その態度は怪しいが、結婚すれば、隠し事は出来ない筈だ。何故なら亭主には隠し事などしてはならないからだ。
無条件にそう信じ込んでいる様子は、奥野匡でなくても「それは違うんじゃないかな」と云いたくなりますね。
結局、加瀬亮もまた独りよがりの独善タイプで、恋人を支配し、束縛していないと気が済まない男であるのが判る。しかも自分の価値観に合わない意見には耳を貸さず、短気で頭に血が上ると容易に暴力に訴える。
結婚したらDV亭主になるのが確定しているような男です。
「訊ねても嘘しか返ってこないと判っているなら、最初から訊ねないのがいい」と云う奥野匡の年の功的な意見にも同意しない。
「結婚したら隠し事なんか出来ないでしょ。しちゃいけないんだから」と盲目的に信じ込んでいる。これが「若さ故の過ち」と云う奴なんですかねえ。
こういう男に限って自分のことは棚に上げるんだろうなあ。
若くして自動車修理工として自分の整備工場を構え、経済的にも独立している態度は立派なのですが、元大学教授の老人とは水と油であることが察せられます。
この三人、誰も好きになれません。でも一見すると、三人とも問題のない上面をしている。
こうなると、加瀬亮を前にして高梨臨と奥野匡は嘘をつき通せるのか、嘘がバレたときの密かな三角関係がどうなるのかがドラマの焦点になってくるワケですが、誰も好きになれないので、こちらも冷めた目で観てしまいます。
妙にオドオドしている高梨臨、泰然自若と嘘をつく奥野匡、誠実そうだが押しつけがましく独善的な加瀬亮。役者の演技が実に自然で見事ですが、完全に他人事なドラマでした。
青年の修理工場の顧客の一人が老人の顔見知りだったり、老人のマンションの隣には詮索好きでおしゃべりなオバチャンが住んでいる等、とても秘密が保てるような環境では無いのが笑ってしまいます。
案の定、最後には女を匿う老人宅に、激高した青年が怒鳴り込んできて、大暴れするわけですが、どんな解決があるわけでもなく、そこでエンドです。
ブチ切れた加瀬亮の演技が、実に凄まじい。
しかしそこにエラ・フィッツジェラルドの歌うジャズ「ライク・サムワン・イン・ラブ」が流れてきてフェードアウト。
え。そんなところで終わっちゃうの的な唐突感が堪りませんでした。それでいて、奇妙に味わい深い作品でした。
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