「宇宙飛行士のサバイバル」というと、近年もアルフォンソ・キュアロン監督の『ゼロ・グラビティ』(2013年)がありましたし、火星探査機パスファインダー(1997年火星到達)が話題になった頃は、火星を題材にした『レッドプラネット』(2000年)と『ミッション・トゥ・マーズ』(同年)の火星SF映画対決なんてのもありましたねえ。
まぁ、『ゼロ・グラビティ』はともかく、後者の火星SF映画はなんともビミョーな味わいで、どちらも如何なものかと思わざるを得ない出来映えでありましたが、それもまた思い出です(あの頃のヴァル・キルマーはまだ肉の塊ではなかったのだ)。
それらに比べると、本作は非常にリアルかつハードな仕上がりでして、SF者としても満足できる出来映えです(人面岩なんて出てこないし)。視覚効果で今年(第88回・2016年)のアカデミー賞にノミネートされたのも宜なるかな。
視覚効果賞以外でも本作は、作品賞、主演男優賞、美術賞、音響編集賞、録音賞、脚色賞と、計七部門でアカデミー賞にノミネートされましたが、すべて受賞を逸しております。残念。
それに個人的には視覚効果賞なら『ザ・ウォーク』にこそ受賞してもらいたかったところなのですが――受賞は『エクス・マキナ』――、ノミネートされなかったのが何とも……。
とりあえず本作も『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』も、アカデミー賞ではパッとしませんでしたが、代わりに『マッドマックス/怒りのデスロード』(2015年)が六部門受賞の大健闘(美術賞、衣装デザイン賞、メイクアップ&ヘアスタイリング賞、編集賞、音響編集賞、録音賞)を見せてくれたのであまり文句は云うまい(でも、ジョージ・ミラーには監督賞も獲ってもらいたかったデス)。
ともあれ、本作はリアルな火星描写が実に印象的です。CGによる効果もさりながら、ヨルダンでのロケが素晴らしい。ここはワディ・ラムと呼ばれるヨルダンの景勝地で世界遺産でもあるそうな。
『アラビアのロレンス』(1962年)でも撮影に使われた有名な景勝地だとは存じませんでした。観ている間は、きっと遠景はCGで合成しているのだろうなと考えておりましたが、現実にもあのような風景の場所のようです(とても地球の景色とは思えませぬ)。
但し、重力が1Gのままなのには目を瞑りましょう。
いやもう、いつでも『カプリコン1』(1977年)を実話に出来ますね(と云うか、『カプリコン1』をリメイクしてくれてもいいのよ)。
しかし本作の「宇宙飛行士の火星でのサバイバルをリアルに描く」と云うプロットを聞いたときには、私はジェフリー・A・ランディスの『火星縦断』を想起してしまいました。当初、『火星縦断』の映画化と勘違いしていたことは秘密です。
『火星の人』も『火星縦断』も、どちらもハヤカワSF文庫で翻訳されていますね。でもきっと本作のおかげで『火星縦断』が映像化される可能性はなくなったことでしょう(それほどネタ的にはカブッてるんですよ)。
小説で云えばキム・スタンリー・ロビンソンの「火星三部作」なんかも映像化してもらいたいところなんですけどねえ(いや、それより第三部が未訳のままなのをなんとかしてくれ!)。
小説ついでに、「宇宙飛行士が科学を武器に過酷な環境でサバイバルを繰り広げる」と云うストーリーが、そもそもジョン・W・キャンベルの『月は地獄だ!』ぽいなあと思われたのですが、若年層には通じませんね(もはや古参のSF者同士でも通じないカモ)。イマドキは月面での遭難やらサバイバルには、それほどSF感が感じられなくなっているのでしょうねえ。二一世紀ですし。
きっとアーサー・C・クラークの『渇きの海』とか『火星の砂』も映像化はされないのでしょう(ちょっと哀しい)。
本作の監督はリドリー・スコットです。たまに『プロメテウス』(2012年)なんてスカタンなSF映画を撮ってしまいますが、本作は原作がしっかりしているので大丈夫。
その上、脚本のドリュー・ゴダードがアカデミー賞脚色賞にノミネートされているくらいですから、ストーリーに関しての心配要素はありませんね。
音楽のハリー・グレッグソン=ウィリアムズは、リドリー・スコット監督作品では『キングダム・オブ・ヘブン』(2005年)でも一緒に仕事をしておりますが、『ナルニア国物語』シリーズの方が有名でしょうか。それより馴染み深いのはゲームの『メタルギアソリッド』シリーズの方か。
主演はマット・デイモン。クリストファー・ノーラン監督の『インターステラー』(2014年)でも異星環境でサバイバルする宇宙飛行士(と云うか科学者)を演じておりましたが、その背景はあまり詳細に描かれてはいませんでした(そもそも本筋ではないし)。
しかし本作ではサバイバル生活そのものが本筋です。過酷な火星環境での孤独なサバイバル生活がこれでもかと描写されておりまして、悪戦苦闘するマット・デイモンの姿は、「火星で生活する人」>「火星の人」>「火星人」として忘れ難いものになりました。原題も “The Martian” ですし。
年寄りのSF者ですから、「有名な火星人の名前を挙げてみろ」と問われると、ウル・クォルンとヴァレンタイン・マイケル・スミス氏の名前くらいしか思い浮かばないところですが──あとはアアア氏とかツツツ氏とか──、これからはマット・デイモンの名前もそこに加えようと思います。
共演はジェシカ・チャステイン、ケイト・マーラ、マイケル・ペーニャ、ショーン・ビーンと云った面々。特にジェシカ・チャステインとショーン・ビーンが印象的でした。
ジェシカ・チャステインはマット・デイモンと同じ火星探査隊アレス3──つまり第三次火星探検隊ですね──の隊長役。女性の隊長で、隊員が男女ほぼ同数なのが昔のSFとは異なるところですね。「野郎ばかりの探検隊」と云うのは、もはや過去の遺物か。
ショーン・ビーンはNASAのフライトディレクターとして登場し、地球から救助活動の指揮を執ると云う「頼れるオヤジ」な役どころで、『アポロ13』(1995年)におけるエド・ハリス的なポジションです。救出ミッションのリスクからマット・デイモンを見捨てようとするNASA長官(ジェフ・ダニエルズ)と対立したりします。
ミッション・コントロールによる懸命な救出活動が描かれると云う点では、『アポロ13』の他にも、『宇宙からの脱出』(1969年)なんて作品を想起しますが古いデスカそうですね。
劇中では、タイムリミットのある救出ミッションの為にNASAのエンジニア達が不眠不休でボロボロになっていく様子や、あるものを限られた重量にしようと極端な軽量化を図ろうとする場面も描かれていて、このあたりも前述の作品を彷彿いたします。
この手の「制約のある中から妙手をひねり出す」演出は観ていて楽しいものがありますね(エンジニアの皆さんは大変でしょうが)。
他の出演者では、隊員の中にケイト・マーラやマイケル・ペーニャに混じってセバスチャン・スタンがいたのが嬉しいところでしたが、あまり出番はありませんでした。アレス3には、最近のアメコミ映画でよく見かける面子がそろってますねえ。
もう一人、アクセル・ヘニーも隊員のメンバーでしたが、こちらもあまり出番なし。『ヘッドハンター』(2011年)が素晴らしかったので、もっとハリウッドでメジャーになって貰いたいデス。最近は紀里谷和明監督の『ラスト・ナイツ』(2015年)で吉良上野介の役(ちょっとチガウ)でしたが。
アメコミ映画ついでに書いておくと、本作では劇中で『アイアンマン』(2008年)に言及される下りがあって笑えました。原作の出版が二〇一一年ですから、作者のアンディ・ウィアーも観ていたのかしら(それ以前からアメコミのファンだったのかも)。
掌からジェットを噴出して飛ぶのがアイアンマン・スタイルですが、これを模して推進剤無しに宇宙空間で機動しようと云うやり方で、宇宙服の掌に穴を開けておき、手を握ったり開いたりしながら噴出する空気の反動で機動します。当然、命に関わりますわな。
原作では「あまりにも危険だ」として却下されてしまいましたが、映像化するに当たっては採用されてしまいました。やはり絵になりますからね。ストーリー上ではマット・デイモンの独断で行われることになりました。
クライマックスではマット・デイモンが決死のアイアンマン・マニューバで飛んでいく姿も描かれております。コントロールが難しいので、あまり颯爽と飛びはしませぬが。
本作は専ら火星上でのマット・デイモンのサバイバル生活がメインに描かれておりますが、意外と宇宙船の描写も多かったのがSF者としては嬉しいデス。特にアレス3のメンバーが乗り込む宇宙船ヘルメス号がいい。
船体の一部が回転して人工重力環境を作り出すようになっていて、長期の航行を行う船であるのが判るデザインですね。船内の無重力環境と人工重力環境の描き分けが凝っていて、古典である『2001年宇宙の旅』(1968年)にオマージュを捧げているのが感じられました。その点では『インターステラー』も同じですね。
個人的には、無重力の通路をジェシカ・チャステインがスーッと飛んでいって、別区画の通路にひょいと飛び込む様子が、『機動戦士ガンダム』シリーズの諸作品で描かれている場面を彷彿とするのですが(『ガンダム』の実写化は……うごご)。
それにしても本作で見せるマット・デイモンの一人芝居はかなり印象的でした。アカデミー賞の主演男優賞にノミネートされたのも宜なるかな(受賞は逸しましたが)。
結局、主演男優賞は『レヴェナント:蘇りし者』のレオナルド・ディカプリオ(以下、デカプー)に掠われてしまいましたが、やはりシリアスで壮絶な生き様を描く作品の方がウケてしまうんですかね。個人的にはデカプーがやっとオスカー俳優になれたのは喜ばしいことではありますが、壮絶かつ悲壮なサバイバルは観ていてかなり疲れます。
そこへ行くと本作には悲壮なところがありません。いや、かなり絶望的な状況に直面したりもするのですが、そこをユーモアで乗り切って行くマット・デイモンの姿が良いのです。まぁ、「もはや笑うしかない」状況でもありますが。
原作の小説からして、かなりお気楽な筆致でありまして、それがちゃんと演出されております。客観的に自分を嗤うことが出来るひとであるのがいい。また、そうであるからこそ生き延びることも出来たのでしょう。
劇中でも、マット・デイモンはサバイバル生活中にジェシカ・チャステインの音楽の趣味にケチを付けたりしております。七〇年代ディスコ・ミュージックしか聴くことが出来ないのは拷問にも等しいと云うのは判りますけど(でもアバの「恋のウォータールー」はイイ曲じゃなイカ)。
そもそもが、生きるか死ぬかの瀬戸際に『アイアンマン』に言及できる精神力の持ち主でもありますし。
他にも序盤では、マット・デイモンが火星に取り残され、一人で怪我を治療する場面があって、ファン・サービス的に見事な筋肉を見せつけてくれます。しかし終盤ではサバイバル生活の果てに、ガリガリに痩せてしまった姿も披露され、肉体の変化がかなり強烈に描かれておりました。
あれはきっとCGで少し強調しているのでしょう。現実にあんな減量をやらかしたらマット・デイモンの身が保ちませんよ(過去、本当に減量で健康を害した経験もあるそうですし)。
ストーリー上では、長期間の低重力生活に加えて、食生活がジャガイモ・オンリーなので、エゲツない減量になるのもやむを得ないでしょう。実にリアルです。
しかしSF者としては、科学的手法を駆使して水や空気を作り出すことよりも、ジャガイモだけの食生活で生き延びられることの方が驚異的に感じられました。でも現実にジャガイモだけで生きている人もいるそうなので、そこはSFではないようデス(私には耐えられん)。
さて、マット・デイモンが火星でのサバイバル生活を繰り広げている間に、地球では何とか彼を助けようと、あの手この手の救出ミッションが展開していくワケですが、ここでNASAに協力を申し出るのが中国国家航天局と云う流れです。
一昔前ならば、NASAのピンチに協力してくれるのはロシア(と云うか、あの頃はソビエト連邦でしたが)なのが定番でしたが、時代の移り変わりを感じます。
と云うか、これは最近のハリウッド映画にアリガチな、チャイナ・マネーにおもねる露骨な中国ヨイショ演出ではないのか。でも原作小説でもその通りなので文句を付けることは出来ないデスね。
どうにも火星でのサバイバルや、宇宙船ヘルメス号の描写よりも、中国製ロケットエンジンの性能に胡散臭いものを感じてしまうのは偏見でしょうか。日本製のエンジンでも登場させてくれた方がよりリアルに感じられたのに……なんてのも偏見か。
しかし類似のストーリーがある中で、ジェフリー・A・ランディスの『火星縦断』よりもアンディ・ウィアーの『火星の人』の方が映画化に選ばれたのは、原作の描写が今のハリウッドには都合が良かったからなのではとの疑念が拭いきれませんデス。
まぁ、作品的に『火星の人』の方が新しい分、最新の科学的情報が駆使されていて、より描写がリアルなのでしょうが。うーむ。あまり中国ヨイショだと言い募るのも、日本人のやっかみであると思われますかね。
クライマックスの難局も無事に乗りきり、マット・デイモンは無事に地球に生還します。
実は劇中、常に時間の尺度は「SOL」と云う単位で表示されています。これは「太陽日 (solar day)」の意味だそうなので、惑星毎に各々の自転速度でSOLの長さも変わります。
本作の場合は「火星日」と同義ですね地球の一日よりも若干長い時間ですが、マット・デイモンが火星に取り残された「SOL 1」から始まり、救出される「SOL 549」まで続いていきます。
そして生還後のマット・デイモンを映して、表示されるのが「DAY 1」。今いる場所が地球であることを端的に表したもので、なかなか巧い表現であると感心しました。
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